第88話 未来の騎士と王様の約束
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴163年 10月10日 昼 快晴』
すっかり秋も深まり、ハーグの木々が赤や黄色に色づき始めた、穏やかな日のことだった。
僕は、ユーディルだけを供につれて、城下の視察も兼ねて、郊外の養豚場へと足を運んでいた。
(うん、みんな元気に太ってるなあ)
柵の中では、僕たちの国の宝である『ハーグ黒豚』たちが、気持ちよさそうに鼻を鳴らしている。その様子を見て、僕は満足げに頷いた。
すると、豚たちに餌をやっていた一人の少女が、僕の姿に気づいて駆け寄ってきた。数年前に比べ、少しだけ背が伸びて、すっかりお姉さんらしくなった、リーナちゃんだ。
「ライル様! ようこそおいでくださいました!」
「やあ、リーナちゃん。久しぶりだね。豚さんたち、すごく元気そうだ」
「はい! これも全て、ライル様が作ってくださった、栄養満点のサイレージのおかげです!」
彼女の屈託のない笑顔に、僕の心も和む。その時だった。リーナちゃんの背後から、小さな影が、ひょっこりと顔を出した。年の頃は五つくらいだろうか。好奇心に満ちた大きな瞳が、僕の顔をじっと見つめている。
「カール! こら、王様にご挨拶しなさい!」
リーナちゃんに促され、カールと呼ばれた男の子は、てくてくと僕の前に歩いてきた。そして、僕が王様だとわかると、目をきらきらと輝かせ、人見知りもせずに叫んだ。
「わーい! ほんものの、おうさまだー!」
カール君は、そう叫ぶと、僕のマントにじゃれつき、足にしがみついてきた。その、あまりに無邪気な行動に、僕の隣に控えていたユーディルの、纏う空気が、ぴしりと凍りつく。
「これ、カール! ライル国王陛下に対し、あまりに無礼であろう! 控えよ!」
ユーディルの、氷のように冷たい声が響く。だが、カール君はどこ吹く風で、僕にしがみついたまま、きゃっきゃっと笑っている。
「まあまあ、ユーディル。いいじゃないか」
僕は、ユーディルを手で制すると、カール君の前にしゃがみ込み、その体をひょいと抱き上げた。
「子供は、元気なのが一番だよ。ね?」
「うん!」
僕の膝の上で、カール君は満足そうに頷いた。その姿は、僕の息子のレオやフェリクスと、どこか重なって見えた。
しばらく、リーナちゃんやカール君と、豚の話や、畑の話で盛り上がった後、そろそろ城へ戻る時間になった。
僕が立ち上がると、カール君は、名残惜しそうに、僕の服の裾を、きゅっと掴んだ。その、潤んだ瞳を見て、僕は少しだけ、悪戯心が湧いてくるのを感じた。
僕は、再び彼の前にひざまずくと、その小さな肩に、そっと、両手を置いた。そして、騎士叙任の儀式を真似て、わざと厳かな声で、こう告げた。
「カール」
「はい!」
「その、誰をも恐れぬ勇気と、太陽のような元気を讃え、汝を、我がヴィンターグリュン王国の、未来の騎士に任ずる」
意味もわからず、ぽかんとしているカール君。僕は、にやりと笑って、彼の頭を優しく撫でた。リーナちゃんは、そんな僕たちのやり取りを、微笑ましそうに眺めていた。
その、ほんの軽い気持ちの冗談が、一人の少年の運命を、大きく動かすことになるとは、この時の僕は、知る由もなかった。
数日後。
僕は執務室で、ヴァレリアから軍備に関する報告を受けていた。
「――というわけで、新型銃の量産は、順調に進んでおります。来春までには、第一線部隊への配備が完了する見込みです」
「そっか、ありがとう。ご苦労様」
僕が珈琲を一口飲んだ、その時だった。
執務室の扉が、慌ただしくノックされ、一人の衛兵が、血相を変えて飛び込んできた。
「も、申し上げます! 城門の前にて、騎士にしていただきたい、と仰る少年が、ずっと、座り込んでおりまして……!」
「騎士に? どういうことだ?」
ヴァレリアが、訝しげに眉をひそめる。衛兵は、困り果てた顔で続けた。
「それが……お名前を伺いますと、『未来の騎士、カールだ! 王様との約束だ!』と、一点張りで……」
ぶはっ!
僕は、口に含んだ珈琲を、盛大に羊皮紙の上に噴き出してしまった。
「ええええええええっ!? あの子、本気にしちゃったの!?」
僕の絶叫が、平和だった執務室に、こだました。
ヴァレリアの氷点下の視線が、僕の額にぐさりと突き刺さるのを感じる。
僕は、ただ頭を抱えることしかできなかった。
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