第86話 さらばブルーコート歩兵
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴162年 12月16日 夜』
その夜、僕はアシュレイを、少しだけ乱暴に抱いた。
昼間に撃った、あの新型銃の感触が、まだ指先に残っている。耳の奥で、鋭い炸裂音が鳴り響いている。どうにも、昂ぶりが収まらなかったのだ。
今は、僕の腕の中で、彼女がすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。その穏やかな寝顔を眺めながら、僕は、昼間の出来事を、もう一度、頭の中で反芻していた。
(あんなものを見せられたら、昂ぶるなという方が、無理だ……)
アシュレイに頼み込んで、僕もあの新型銃を撃たせてもらった。
その撃ち方は、僕たちが今まで使っていた火縄銃とは、何もかもが違っていた。
まず、銃の後ろについている、ボルトっていう取っ手を、ぐいっと引き上げて、手前に引く。そうすると、薬莢を排出するための排莢口が、カシャン、と開くんだ。
そこに、五発分の弾丸がクリップにまとめられたものを、上から指で、ぐっと押し込む。小気味いい金属音と共に、弾丸が銃の中に吸い込まれていく。
空になったクリップを抜き取って、ボルトを前に押し戻し、取っ手を下に倒して閉鎖する。たったこれだけで、もう一発目が薬室に装填されて、いつでも撃てる状態になるんだ。
(すごい……。これなら、一発撃つたびに、銃口から弾と火薬を詰め直す必要がないじゃないか)
肩に銃床をしっかりと当てて、的を狙う。引き金を引くと、これまでの銃とは比べ物にならない、鋭い衝撃と轟音が響き渡った。
そして、ここからが真骨頂だ。
撃ち終わったら、またボルトの取っ手を引き上げて、手前に引く。すると、今度は、空になった真鍮の薬莢が、勢いよく横に『チャキン!』と飛び出していく。そして、またボルトを前後に動かせば、二発目がすぐに装填される。
この繰り返し。一人の兵士が、伏せたまま、ほんの十数秒で、五発もの弾丸を、立て続けに撃つことができるんだ。
(これなら……もう、兵隊さんを縦に並べる必要はない)
『ヴィンターグリュン・ローテーション』は、一発撃つごとに装填に時間がかかる、という欠点を補うための苦肉の策だった。でも、この新型銃なら、その前提が、根底から覆る。
僕は、アシュレイを起こさないように、そっとベッドを抜け出した。そして、羊皮紙の上に、新しい軍隊の姿を、夢中で描き始めた。
(そうだ。むしろ、みんなで固まっていたら、敵の大砲や銃の、格好の的になるだけだ。これからは、兵士はもっと横に、広く散らばって戦うべきなんだ)
横一列の、長い、長い戦列。
そして、ただ立って撃つんじゃない。
(敵から、隠れるんだ。一番簡単なのは、地面に穴を掘ることだ。『塹壕』っていうんだったかな。そこに隠れて、頭だけ出して撃つ。それなら、敵の弾は、ほとんど当たらないはずだ)
そうなると、問題になるのは、今の僕たちの軍服だった。
(この、綺麗な青い服は、ダメだ。目立ちすぎる。森で戦うなら緑色、土の上で戦うなら茶色い服の方が、敵に見つかりにくいじゃないか)
そして、もう一つ。
(塹壕から頭だけ出すなら、その一番大事な頭を守るための、鉄の兜……『鉄兜』も、絶対に必要になるな)
僕の中で、新しい戦の形が、はっきりと見えていた。
翌日。僕は、アシュレイ、ヴァレリア、そしてユーディルを前に、この新しい軍の構想を熱っぽく語った。
三人は、最初こそ僕の突拍子もない話に驚いていたが、すぐにその合理性を理解し、その目には、畏敬と、そして興奮の色が浮かんでいた。
「なるほど……。個の力を高めた兵器は、集団戦術そのものを変える、と。閣下、恐るべき慧眼です。私では、到底思いもよりませんでした」
「そうっスよ! 密集陣形なんて、これからの時代の的でしかない! 散開して、隠れて、一方的に撃つ! なんて合理的で、なんてえげつない戦術っスか! 最高っスよ、ライル!」
「よろしいでしょう。兵士は消耗品ではございません。その生存率を極限まで高める戦術こそが、最強の戦術。異論はございません」
こうして、僕の軍制改革は、満場一致で承認された。
数日後。ハーグの広場には、一万のブルーコート歩兵たちが、最後の整列をしていた。
僕は、彼らの前に立ち、これまでの感謝と、新しい時代の到来を告げた。
「みんな、今までありがとう。君たちの青い軍服は、我がヴィンターグリュン王国の、誇りそのものだった。だが、時代は変わる。これからは、敵から見つからないことこそが、君たちの命を守る、最強の鎧になるんだ」
僕は、この解散式をもって、彼ら全員に、特別ボーナスを支給することを約束した。
そして、希望者には、新たに設立する『ヴィンターグリュン・ライフル兵団』への入隊を推奨した。
結果、ほとんどの兵士……約一万人が、新たな軍に残ることを決意してくれた。
その日から、僕の国の軍事訓練は、様変わりした。
兵士たちは、誇らしかった青い軍服を脱ぎ捨て、緑や土色の新しい訓練服を身につける。そして、銃ではなく、スコップを手に、来るべき新しい戦いのために、黙々と、大地に塹壕を掘り始めるのだった。
僕の国が、また一つ、静かに、しかし決定的に、その姿を変えた、歴史的な一日だった。
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