第85話 アシュレイの新型銃開発日誌
『アヴァロン帝国歴162年 12月15日 昼 快晴』
【アシュレイ視点】
穏やかな昼下がり。私は、息子のレオが作った、歪な形の泥団子を「これは新素材の粘土っスか!?」なんて言いながら、本気で分析しようとしていた。母親になってから、私の世界は、火薬と金属の匂いから、ミルクとお日様の匂いに変わった。それも、悪くはない。ううん、最高に幸せだ。
この腕の中にある、小さな温もり。夫であるライルが守り、作り上げてくれたこの平和。それを、今度は私が、私の頭脳で守る番だ。
(……なんてね。たまには、徹夜で設計図と睨めっこしたくなる時もあるっスけど)
そんなことを考えていた日、執務室でライルから聞かされた話が、私の発明家としての魂に、久々に火をつけた。
「それでね、アシュレイ。皇帝陛下の、あの『ホワイトコート歩兵』が持ってた銃なんだけどさ」
ライルは、うーん、と首を傾げながら、子供のように一生懸命に説明してくれた。
「僕らのより、なんだか長かったかな? 全体的に、ちょっと大きかったような気もするんだ。きっと、あの意地悪な皇帝のことだから、僕たちの銃より、ずっと高性能にしてあるに違いないよ。例えば、もっとずーっと遠くまで弾が届くとか、狙ったところに、ぴたっと当たるとかさ!」
(……ほう。あの皇帝、やるじゃないっスか)
私の脳内で、久しく使っていなかった計算式が、火花を散らして組み上がり始める。
ライルが、ただの幸運な農民王だなんて、侮っているんだろう。だが、その隣には、この私、アシュレイ・フォン・ハーグがいる。大陸最高の頭脳は、皇帝の城になんてない。このヴィンターグリュン王国にこそ、あるのだと。
(面白い! 売られた喧嘩は、百倍にして返すのが、私のやり方っスよ!)
私は、その日のうちに、レオを侍女に任せると、工房に引きこもった。
寝食を忘れ、油とインクにまみれ、ただひたすらに、一枚の羊皮紙と向き合う。
もっと、遠くへ。もっと、正確に。そして、もっと、確実に。
ライルの、そしてこの国の兵士たちの命を、より少ないリスクで守るための、究極の兵器。
数週間後。私の手には、一本の、黒光りする鉄の塊が握られていた。
その新型銃の試作品を、私は、ライルとヴァレリアさん、そしてユーディルさんの前に、誇らしげに掲げてみせた。
「お待たせしました! これが、皇帝の玩具を、過去の遺物にする、私の最高傑作っス!」
私は、三つの大きな改良点について、熱っぽく語り始めた。
「まず、見てほしいのは、この弾丸っス!」
私が掌に載せて見せたのは、これまでの丸い鉛の玉ではない。先端が尖り、後ろが丸みを帯びた、まるでドングリのような形をした、新しい弾丸だった。
「今までの丸い弾はね、空気の抵抗を受けて、どうしても飛んでる途中でふらふらしちゃうんスよ。でも、このドングリみたいな『尖頭弾』なら、空気の壁を切り裂くように、矢のように、まっすぐ安定して飛んでくれる。飛距離が、格段に伸びるってわけっス!」
次に、私は銃身を指さした。
「そして、この銃身の内側! ここには『施条』っていう、螺旋状の溝が、ぐるぐると彫ってあるんスよ!」
「溝……?」
「そう! この溝が、発射された弾丸に、超強力な回転を与える! 回転するコマが倒れにくいのと同じで、高速で回転する弾丸は、軸がブレずに、狙った場所に吸い込まれるように飛んでいくんス! これで、命中精度が、これまでの銃とは比べ物にならないくらい、跳ね上がるっスよ!」
私は、最後に、銃の心臓部である、発射機構を指し示した。
「そして、最大の発明がこれ! もう、雨の日でも戦えるように、火縄は卒業っス!」
私は、銃の後ろにある、鳥の頭のような形をした部品を指で弾いてみせた。
「この『撃鉄』ってやつが、この小さな真鍮のキャップ……『雷管』を、カチン! と、勢いよく叩く。すると、このキャップに詰めてある、衝撃に弱い特別な火薬が爆発して、銃身の中の火薬に、一瞬で火を移すんスよ! これなら、火縄に火を灯しておく手間もないし、何より、湿気に強い! いつでも、どこでも、確実に撃てるってことっス!」
私の説明に、ヴァレリアさんもユーディルさんも、息をのんだまま固まっていた。
その日の午後。私とライルたちは、城の裏手に新設された、高い塀で囲まれた秘密の射撃場に来ていた。
「じゃ、いくっスよ!」
私が、新型銃を肩に構える。ずしりとした重みが、心地いい。二百歩ほど先に置かれた、鋼鉄の的を、照準器の真ん中に捉える。そして、ゆっくりと、引き金を引いた。
ズッバーン!
これまでの乾いた音とは違う、腹の底に響くような、重く、鋭い炸裂音が響き渡った。
次の瞬間、遥か先の鋼鉄の的の、ど真ん中に、風穴が空いていた。
ズッバーン! ズッバーン!
私は、立て続けに引き金を引く。そのたびに、的は正確に撃ち抜かれ、やがて、ただの鉄くずとなって地面に崩れ落ちた。
「ひゃっはー! どうっスか、この性能! 完璧っスよ!」
私が高笑いしていると、ライルが、目をキラキラさせながら駆け寄ってきた。
「すごいよ、アシュレイ! これなら、もっと遠くの敵からも、みんなを守れるね!」
その隣で、ヴァレリアさんが、興奮を隠しきれない、わずかに震える声で言った。
「……直ちに、この新型銃の量産体制を。我が軍は、また一つ、新たな時代へと足を踏み入れます」
そうだ。これでいい。
私の頭脳は、いつだって、この世界一お人好しで、優しい王様のためにあるのだから。
私は、まだ硝煙の匂いが残る銃身を、愛おしそうに撫でた。
ヴィンターグリュン王国の、新たな時代の幕開けを告げる、最高の音がした。
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