第84話 ライル闇バーで土下座する そしてカクテルにおぼれる
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴162年 10月25日 夜』
最近、僕は少しだけ、また疲れていた。
帝都との面倒なやり取りや、山と積まれた書類仕事。王様っていうのも、楽じゃない。僕が執務室で大きなため息をついた、その夜だった。いつものように、音もなくユーディルが背後に立っていた。
「閣下。少々、気晴らしでもいかがですかな。例の店が、場所を変えて、ひっそりと営業を再開したそうでございます」
「えっ、本当かい!?」
あの、最高のポテトベーコンの味が、脳裏によみがえる。だが、すぐに僕の心は罪悪感で曇った。僕が、正規の営業許可証なんていう余計なものを渡したせいで、彼らの大切な場所を奪ってしまったのだ。
「僕なんかが、行っていいのかな……。また、迷惑をかけちゃうんじゃ……」
「ご安心を」
ユーディルは、漆黒のローブの奥で、静かに笑った。
「あいつらは、それしきのことでヘコたれるような、ヤワな連中ではございません。むしろ、王様が顔を出さないことを、寂しがっているかもしれませんぞ」
その言葉に、少しだけ勇気をもらった僕は、ユーディルの後について、再び夜の街へと繰り出した。
新しい店は、以前よりもさらにわかりにくい、袋小路の奥にあった。古びた木の扉を開けると、そこには、懐かしい顔ぶれと、むせ返るようなタバコの煙、そして安物のエールの匂いが満ちていた。
僕の姿を認め、ざわめく店内。僕は、その視線を一身に浴びながら、店の中心まで進み出ると、その場で勢いよく土下座をした。
「この前は、本当にごめんなさい! 僕が、浅はかでした!」
僕の突然の行動に、店内が、しんと静まり返る。
やがて、その沈黙を破ったのは、カウンターの奥から聞こえてきた、マスターの、呆れたような、でもどこか楽しげな笑い声だった。
「へっへっへ、顔を上げなよ、王様。そんなことで、いちいち土下座するやつがあるかい」
「そうだそうだ! あんたのおかげで、いい運動になったぜ!」
片腕のない元傭兵が、にやりと笑う。僕は、おずおずと顔を上げた。誰も、僕を責めてはいなかった。それどころか、「ほら、こっち来て一杯やろうぜ!」と、手招きまでしてくれる。
僕は、彼らと一緒にダーツの的を狙ったり、よくわからないカードの賭け事に興じたりした。もちろん、賭けにはラッキーヒットで圧勝してしまったけれど。
すっかり気分が良くなった僕の前に、マスターが、そっと一つのグラスを差し出した。中には、夕焼けのような、美しい色合いの液体が満たされている。
「王様、こいつはとっておきだ。まあ、飲んでみな」
一口、口に含む。
フルーティーな甘みと、爽やかな酸味。そして、喉の奥を、アルコールの熱が心地よく通り過ぎていく。
「……! おいしい! これ、なんていう飲み物なの!?」
「カクテル、ってもんさ」
マスターは、グラスを磨きながら、静かに語り始めた。
「帝国の、お偉いさんが決めた法律ではな、酒に果物だの、薬草だのを混ぜることは、『混ぜ物をして品質を落とす』ってんで、違法の酒扱いになるんだ。税金も、べらぼうに高くなる」
「えっ、そうなの!?」
「ああ。だから、表立った店じゃ、こんな手間のかかるもんは出せねえのさ。俺たちが、光の当たらねえ、こんな場所で店をやるのはな……」
マスターは、僕の目をまっすぐに見つめた。
「この『味』を、守りてえからなんだよ、王様」
(……そっかあ)
僕は、ようやく、全てを理解した。
彼らが守りたかったのは、無法地帯なんかじゃない。法律なんかに縛られずに、自分たちの信じる『美味しいもの』を、自由に提供できる場所。その、ささやかな誇りだったんだ。
(ユリアン皇帝にこの話をしちゃったら、またカクテルに高い税金をかけるとか、面倒なことになりそうだな……)
僕は、グラスに残った美しい液体を、一息に飲み干した。
「マスター。このカクテルのことは、僕と、ここにいるみんなだけの秘密だ。……だから、また、飲みに来てもいいかな?」
僕の言葉に、マスターは、この日一番の、最高の笑顔を見せてくれた。
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