第79話 青の奔流と赤の騎士団
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴163年 4月5日 朝 快晴』
春。ヴィンターグリュン王国の首都ハーグの城門前には、どこまでも続く青い川ができていた。
僕の国の兵士たち、『ブルーコート』。その数、一万。彼らは、真新しい青い軍服に身を包み、その背には帝国の運命を左右する黒い鉄の棒…『銃』を背負い、静かに、そして整然と、出撃の時を待っていた。
僕は、旗艦となる指揮用の馬車の上から、その光景を眺めていた。
彼らの顔は、貴族でも騎士でもない。僕と同じ、ただの農民や、街の職人、そして流れ者の元傭兵たちだ。だが、その目には、恐怖の色はない。あるのは、自分たちの国と、家族と、そして明日の食卓を守るのだという、静かで、しかし鋼のように強い意志だけだった。
(僕たちは、正義の戦いなんて、するつもりはない)
僕が戦う理由は、いつだって一つだけだ。
僕の民が、お腹いっぱいご飯を食べて、平和に笑って暮らせる国。実力さえあれば、誰でも豊かになれる国。新しい技術が、人々の生活を楽にする国。僕が作ってきた、この温かい国を、ただ守りたい。
ダリウス公爵たちが掲げる『伝統』や『名誉』という、難しくて、お腹の足しにもならないもののために、僕の国の平和が踏みにじられるのは、もう、我慢ならなかった。
僕たちの軍勢の後方には、何百という荷馬車が連なっている。その荷台に積まれているのは、武器や弾薬だけではない。アシュレイが発明してくれた、鉄の保存食『缶詰』が、山のように積まれていた。これさえあれば、僕の兵士たちは、どんな戦場でも、温かくて美味しい故郷のシチューを食べることができる。腹が減っては戦はできぬ。僕の戦は、いつだってそこから始まる。
その夜、進軍の途中で張られた野営地の、作戦司令用のテントに、仲間たちが集まっていた。
「斥候からの報告です」
ヴァレリアが、地図の上に駒を置きながら、厳しい表情で告げる。
「敵、東方貴族連合軍は、帝都へと続く街道の、大平原に布陣。その中核をなすのは、帝国最強と謳われる、ダリウス公爵直属の重装騎兵団……『紅蓮騎士団』。その数、およそ三千」
ユーディルが、影の中から静かに補足した。
「彼らは、ただの騎士ではございません。その全てが、名門貴族の血を引く者だけで構成された、エリート中のエリート。幼い頃から、ただ勝つためだけに、剣と馬術を叩き込まれてきた、戦いの申し子たちです。彼らにとって、戦とは、自らの血筋と名誉を証明するための、神聖な儀式なのです」
守るべき伝統。血筋と名誉。騎士道精神。
それが、彼らの戦う理由。彼らの『正義』。
(そっかあ……)
僕には、やっぱり、よくわからないや。
血筋なんて、生まれた場所が違うだけだ。名誉なんて、お腹が空いたら何の役にも立たない。
でも、彼らは、それを命よりも大事なものだと信じている。だから、僕たちを、自分たちの世界を脅かす『悪』だと、本気で思っているんだろう。
だったら、仕方ない。
僕たちのやり方で、僕たちの『正義』を、教えるしかない。
数日後。僕たちヴィンターグリュン軍は、ついに決戦の地となる平原に到着した。
地平線の向こうには、陽の光を浴びて、真紅の鎧が不気味なほどに輝いている。あれが、帝国最強の『紅蓮騎士団』。その威圧感は、遠目にも肌で感じられた。
僕は、静かに、僕たちの青い軍勢を見回した。
そして、決戦を前にした彼らに、たった一言だけ、告げた。
「みんな、お腹は空いてないね? ……よし、行こうか。さっさと終わらせて、ハーグに帰って、美味しいご飯を食べよう」
僕の言葉に、兵士たちの間から、ふっと、緊張が解けたような、穏やかな笑い声が上がった。
青い奔流が、ゆっくりと動き出す。
その先に待ち受ける、赤い騎士団を、飲み込むために。
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