第75話 黄金の奔流と豊かな食卓【東方動乱編 開幕】
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴162年 11月1日 昼 快晴』
新大陸から帰還して、季節はすっかり秋めいていた。
僕の国、ヴィンターグリュン王国は、今、これまでにないほどの活気に満ち溢れている。首都ハーグの街を歩けば、そこかしこで新しい家や店が建てられていて、毎日がまるでお祭りのようだ。
(すごいなあ……。これが、全部、あのお金のおかげなのかな)
僕が持ち帰った、山のような黄金。それを元手に、交易担当のビアンカが、持ち前の商才を遺憾なく発揮してくれていた。帝都の貴族たちの間で大流行している珈琲と砂糖の専売で、王国の金庫は、今や僕が把握できないほどの富で潤っている。
「すごいねえ、ビアンカ。君に任せておけば、僕は何もしなくても国が豊かになっていくよ」
「まあ、陛下! それも全て、陛下が命懸けで切り拓いてくださった道があってこそですわ!」
執務室で帳簿を眺めながら、僕たちはそんな会話を交わした。
でも、僕にとって本当に嬉しいのは、難しい数字の話なんかじゃない。城の外から聞こえてくる、人々の賑やかな声そのものだった。
最近、ハーグの街には新しいパン屋ができた。そこでは、新大陸から持ち帰った『砂糖』をたっぷり使った、甘くてふわふわの菓子パンが、子供たちに大人気らしい。僕も、お忍びで買いに行ったことがある。レオもフェリクスも、それはもう夢中になって食べてくれた。
そうそう、フリズカさんやヒルデさん、ファーティマちゃんたちが一緒に暮らすための、新しい白亜の館も、この前ついに完成したんだ。三人が、それぞれ故郷の家具や飾りを持ち寄って、楽しそうに部屋を飾っているのを見ると、僕まで嬉しくなってくる。
「ライル様、見てくださいまし! わたくしの部屋には、北方の英雄譚を描いたタペストリーを飾りましたの!」
「わたくしは、ライル様がいつでもおくつろぎになれるよう、毎日、床をぴかぴかに磨いておりますわ!」
「東方の香木を焚いておりますの。きっと、心が安らぎますわよ」
みんなが、この国で、自分の居場所を見つけて、幸せそうに笑ってくれている。
アシュレイは、母親になってから少しだけ穏やかになって、最近はレオのために新しいからくり玩具の発明に夢中だ。ヴァレリアは、騎士団長としての仕事と、フェリクスの母親としての役目を、完璧に両立させている。ノクシアは、相変わらず僕のそばを離れないけれど、娘のアウロラをあやすその横顔は、闇の教皇ではなく、ただの優しい母親の顔をしていた。
(豊かだなあ……)
僕は、執務室の窓から、黄金色に輝く畑と、活気に満ちた街並みを眺めた。
僕が守りたかったものは、きっと、この穏やかで、温かい光景なんだ。難しいことはよくわからないけれど、この国のみんなが、お腹いっぱい美味しいものを食べて、毎日笑って暮らせるなら、それでいい。
(この平和が、ずっと、ずっと続くといいなあ……)
僕は、心からそう願っていた。
その頃、僕の知らない遥か東の地で、僕がもたらした光が生み出した、暗く、冷たい嵐が、静かに、しかし確実に、その勢力を増していることなど、知る由もなかった。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




