第74話 ライル、闇バーで癒される そして……
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴162年 10月15日 夜』
最近、僕は少しだけ、疲れていた。
王としての公務、増え続ける家族、そして帝国の面倒な貴族たちとの付き合い。どれも大切なことだとわかっているけれど、時々、息が詰まりそうになる。
そんな僕の様子を察してか、その夜、ユーディルが音もなく僕の執務室に現れた。
「ライル閣下。少々、お疲れのご様子。よろしければ、一杯、付き合わせてはいただけませんでしょうか。良い場所が、ございまして」
ユーディルに誘われるがまま、僕は城を抜け出した。彼が僕を連れて行ったのは、ハーグの薄暗い路地裏。そこには、看板も掲げられていない、古びた木の扉があった。
(ここが……?)
ユーディルが扉を三度、静かに叩くと、中から鍵の開く音が聞こえた。
一歩足を踏み入れると、そこは、僕の知らないハーグの顔だった。薄暗いが、不思議な活気と、人々の熱気が満ちている。燻された肉の香ばしい匂いと、安物のエールの匂い。いわゆる、『闇バー』。営業許可を取らずに、こっそりと営業している酒場だ。
カウンターでは、片腕のない元傭兵が黙々と杯を傾け、隅のテーブルでは、訳あり顔の商人たちが声を潜めて何かを賭けている。流れ者の芸人が、物悲しい調べのリュートを奏でていた。
光の世界では、うまく生きられない者たち。そんな彼らのための、ささやかな憩いの場。それが、ここだった。
僕の姿に気づいた客たちが、にやりと笑って、手招きをしてくる。
「よう、王様じゃないか! こんな薄汚え店に、何のようだ?」
「まあ、固いこと言うなよ。ほら、こっち来て一杯どうだ!」
誰も、僕にひれ伏したりはしない。ただ、少し珍しい客として、気さくに声をかけてくるだけだ。僕は、最初こそ戸惑ったが、すぐにその心地よさに、肩の力が抜けていくのを感じた。
「マスター、名物のポテトベーコンを一つ!」
ユーディルの注文で、分厚いベーコンと、ホクホクのポテトを炒めただけの、素朴な料理が運ばれてきた。僕はそれを頬張り、エールを飲み、見ず知らずの客たちと、身分を忘れて語り合った。
王としてではなく、ただの一人の『ライル』として、そこにいることができた。そのことが、たまらなく嬉しかった。
感動した僕は、城へ戻るなり、すぐにヴァレリアを呼んだ。
「ヴァレリア! あの素晴らしい酒場に、正規の営業許可証を与える! すぐに手配してくれ!」
「はあ……。ですが閣下、そのような店は、法的には……」
「いいんだ! 僕が許可する!」
僕の勢いに、ヴァレリアは深いため息をつきながらも、「御心のままに」と、手続きを進めてくれた。
一週間後。
僕は、意気揚々と、あの路地裏へと向かった。これで、あの店も、マスターも、堂々と商売ができるはずだ。
だが。
(あれ……?)
そこに、あの古びた木の扉はなかった。
ただ、がらんとした、もぬけの殻の空間が、ぽっかりと口を開けているだけ。マスターも、客も、活気も、何もかもが、跡形もなく消え去っていた。
僕は、その場で呆然と立ち尽くした。
(そっか……。僕のしたことは、余計なことだったんだ……)
彼らにとって、あの場所は、光のルールが及ばないからこそ、自由でいられる、大切な憩いの場だったんだ。僕のしたことは、そんな彼らの聖域を、土足で踏み荒らすようなものだったのかもしれない。
この世の無常と、自分の浅はかさを感じながら、僕は一人、とぼとぼと城への帰り道を歩いた。
あの、最高に美味しかったポテトベーコンの味を、もう二度と味わえないのだと思うと、なんだか、無性に悲しかった。
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