第71話 そうだ! コーヒーと砂糖の値段を上げよう!
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴162年 8月15日 昼 快晴』
ハーグの城、その一番大きな会議室は、いつになく重苦しい空気に包まれていた。
テーブルの中央には、新大陸からもたらされた黒い豆……珈琲と、雪のように白い結晶……砂糖が置かれている。僕たちの国に莫大な富をもたらしてくれた、魔法のような産物。だが今、それが、僕たちの頭を悩ませる一番の原因になっていた。
(うーん、どうしてこうなっちゃったんだろう……)
交易担当のビアンカが、疲れた顔で報告書を読み上げる。
「……というわけで、帝都の貴族たちからの珈琲と砂糖の注文は、すでに我が国の供給能力を完全に超えています。このままでは、いずれ大きな混乱を招きかねません」
その深刻な報告を聞きながらも、部屋の隅では、臨時副官から解放されたノクシアちゃんが、淹れたての珈琲を静かに味わっていた。彼女は、砂糖もミルクも入れない、完全なブラック派だ。
「おお……闇の聖水じゃ。この苦味こそが、魂を研ぎ澄ますのう……」
一人だけ、マイペースな彼女の呟きが、少しだけ場の緊張を和らげてくれた。
やがて、東の王女であるファーティマちゃんが、おずおずと口を開いた。
「あの、ライル様……。普通は、物が足りなくなると、その物の値段は上がるものでございます。いつまでも同じ値段のままというのは……その、少し、お人が良すぎるのでは……」
その意見に、商人であるビアンカが、待ってましたとばかりに勢いよく同調する。
「そうですわよ、陛下! ファーティマ様のおっしゃる通りです! 需要と供給のバランスが崩れれば、価格を調整する。それが、商いの常識というものです!」
僕は、二人の正論に、思わずごねるように反論してしまった。
「うーん、でもさあ……。新大陸だと、珈琲も砂糖も、すごく安く手に入るんだよ。それを、すごく高く売るのって、なんだか悪い気がして……」
僕の人の良い、というか、商売に向いていない一言に、部屋の隅に控えていたユーディルが、静かに進み出た。
「しかし、ライル閣下。それが『既得権益』というものでしょう。この交易路を切り拓くため、貴方様は多大な投資と、命の危険さえも冒された。これは、その対価として、当然受け取るべき、正当な見返りにございます」
ユーディルの論理的な言葉に、僕はぐっと押し黙ってしまう。その様子を見て、今度はヒルデさんが、心配そうな顔で口を開いた。
「あの……皆様がおっしゃることは、正しいと存じます。ですが、急に値段を上げてしまっては、我らを妬む者たちから、反感を買うことにはなりませんでしょうか。敵が、増えてしまうのでは……」
北の王女であるフリズカさんも、憂鬱そうな表情で頷く。
「ええ、そうなのです。今、帝国の民の間で高まっているライル様への人気と信頼を、お金のために自ら手放すようなことは、避けるべきですわ」
議論は、完全に平行線をたどっていた。どうすればいいのか、僕にもさっぱりわからない。
そんな重苦しい沈黙を破ったのは、ずっと黙って話を聞いていた、ヴァレリアだった。彼女は、女性にしては低い、落ち着いた声で、一つの提案をした。
「閣下。ここは、ユリアン皇帝陛下を頼ってみてはいかがでしょうか」
「え?」
「陛下に、帝国の公式な命令として、珈琲と砂糖の価格統制を布告していただくのです。そうすれば、民の不満の矛先が、ライル閣下へ向かうことはありません。何も、貴方様が自ら矢面に立つ必要はないのです」
その、あまりに鮮やかな解決策に、僕は目から鱗が落ちる思いだった。
「そっか! その手があったか! 仕方ない! ユリアン皇帝には、いくつか『貸し』があるんだ。今回は、それを使おう!」
僕は、ヴァレリアの聡明さに改めて感心し、すぐに帝都へ向かうことを決めた。
「ヴァレリア、準備を頼む! 急いで帝都へ向かうよ!」
僕の号令に、ヴァレリアは「承知いたしました」と、力強く頷いた。
こうして、僕はまたしても、帝国の皇帝を頼るため、ヴィンターグリュン王国を後にすることになったのだった。
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