第7話 北方の剣スヴァルド王 対 投擲辺境伯ライル
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴156年 10月28日 早朝 曇り』
ハーグの街が復興の槌音に活気づいていた、そんな秋の朝だった。地平線の彼方から、不吉な土煙が立ち上ったのは。
見張り台から鳴らされる警鐘が、街の平和な空気を切り裂く。僕は急いで城壁の上へと駆け上がった。
「敵襲! 北方より、所属不明の大軍勢が接近中!」
ヴァレリアの張り詰めた声が響く。眼下には、まるで黒い津波のように、無数の兵士たちが地平線を埋め尽くしていた。掲げられた旗には、血塗られた戦斧の紋章。
「……北部連合の残党か? いや、あれは……『北方の剣』スヴァルド王の軍勢です!」
ユーディルが忌々しげに吐き捨てた。スヴァルド王。豊かな土地と冬を越すための食料を求め、飽くことなく南下を続ける、バイキングのような獰猛な一族の長だ。そして、彼らにとってハーグは、かつての仲間グルンワルドが治めていた奪還すべき土地でもある。
(一万……いや、それ以上か……)
対する僕たちハーグの守備兵は、闇ギルドの傭兵団『黒竜の牙団』を中心とした三千人。戦力差は、絶望的だった。
「ライル様!」
巨大な体躯に傷だらけの鎧を纏った男が、僕の前に進み出た。傭兵団長ゼルガノス。その目は、恐怖ではなく、歓喜に爛々と輝いていた。
「この日を待っておりましたぞ! 我ら黒竜の牙、貴方様という主に仕え、この命を燃やし尽くせることを、至上の誉れと心得ます! 全軍、鬨の声を上げよ! ライル様のために、死ぬ覚悟はできているか!」
「オオオオオオオッ!」
三千の傭兵たちの雄叫びが、城壁を揺るがした。彼らの士気は、異常なまでに高い。
やがて、敵軍の先頭で馬を駆る、一際大きな人影が巨大な戦斧を天に掲げた。熊の毛皮をまとった、まさしく王の風格。スヴァルド王だ。彼の号令と共に、一万の軍勢が鬨の声を上げ、地を揺るがしながら突撃を開始した。
戦いは、地獄そのものだった。
城壁には無数の鉤縄が打ち付けられ、蟻のように兵士たちが群がってくる。空は敵味方の放つ矢で黒く染まり、絶えず誰かの悲鳴が聞こえていた。熱湯を浴びて絶叫する者、石に頭を砕かれる者、剣に腹を裂かれ、城壁から転げ落ちていく者。
「持ちこたえろ! 弓隊、射撃用意!」
ヴァレリアの冷静な指揮が飛ぶ。だが、数の暴力はあまりに圧倒的だった。味方が一人倒れる間に、敵は三人、四人と城壁に取り付いてくる。このままでは、ジリ貧だ。
(駄目だ……このままじゃ、みんな殺される……!)
恐怖で足がすくむ。だが、僕がここで何もしなければ、本当に全てが終わる。僕は、震える声で叫んだ。
「アシュレイさん! あれ、ありますか!? この前の、売り物の……一番すごいやつ!」
「はい! とっておきのが、たくさんありますよ!」
城壁の隅で、アシュレイが目を輝かせながら答える。
「じゃあさ……あの王様めがけて、投げつければいいんじゃないかな?」
「正気ですか、閣下!? あの距離では……!」
ヴァレリアが目を見開く。だが、僕は首を横に振った。
「やるしかないんだ! このままじゃ、みんな死ぬだけだ!」
初めて、領主として、僕自身の意志で叫んでいた。その覚悟を感じ取ったのか、アシュレイはにやりと笑うと、一抱えもある大きな球体の爆弾を持ってきた。
「了解です! 特製ですよ! 十秒後に起爆します!」
アシュレイが魔術符を貼り付けると、爆弾がかすかな光を帯びる。僕はそれを受け取ると、城壁の最前線に立った。戦場の喧騒が、嘘のように遠のいていく。僕の目には、敵陣の中央で悠然と戦斧を掲げ、味方を鼓舞するスヴァルド王の姿だけが映っていた。
「いっけえええええええっ!」
渾身の力を込めて、僕は天に向かってそれを放った。
黒い球が、高い、高い放物線を描いて飛んでいく。戦場の誰もが、その小さな一点を見上げていた。スヴァルド王もそれに気づき、空飛ぶゴミを嘲笑うかのように、天を仰いだ。
次の瞬間、閃光が弾け、鼓膜を破るような轟音が戦場を支配した。
スヴァルド王がいた場所には、もう、何もなかった。
ただ、彼が天に掲げていた巨大な戦斧だけが、きりきりと空を舞い、やがて地面に深く突き刺さった。
王を失った一万の軍勢は、統率を失って逃げ惑う。
静まり返った城壁の上で、誰もが言葉を失い、僕を見ていた。
(え……また、当たっちゃった……)
僕自身が、一番信じられなかった。
やがて、隣にいたヴァレリアが、呆れと感嘆の入り混じった深いため息をついた。
「……見事な、ご手腕です。ライル辺境伯」
その言葉を合図にしたかのように、ハーグの勝利を告げる鐘の音が、高らかに鳴り響いた。
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