第69話 土塁と側妃たちの館 こういう時、珈琲を飲みたくなるのだろうな
【ヴァレリア視点】
『アヴァロン帝国歴162年 7月10日 昼 曇り』
首都ハーグは今、建設の槌音に満ちている。私は、ヴィンターグリュン王国の騎士団長として、そしてなぜか土木工事の総監督として、街の防衛線を強化するための、巨大な土塁の建設を指揮していた。
「第五工区、傾斜が緩すぎる! もっと角度をつけて突き固めろ!」
アカツキの都で得た経験が、まさか本国の防衛強化に、このような形で活かされるとはな。これも、あの御方の、常人には理解できぬ先見の明というものか。
毎日、泥と汗にまみれ、体は鉛のように重い。だが、全ての仕事が終わり、城の自室へと続く廊下を歩く時、私の心は不思議と穏やかだった。
扉を開けると、そこには、私の帰りを待つ日常がある。
アシュレイ殿が、レオ様と、私の子であるフェリクスを一緒にお風呂に入れている笑い声。ノクシア殿が、アウロラ姫をあやしながら、不思議な子守唄を口ずさんでいる姿。そして、その中心で、子供たちにまとわりつかれながら、幸せそうに目を細めている、我が王、ライル様。
(……まあ、悪くはない)
この、温かく、少し騒々しい日常を守るためならば。土木作業の監督くらい、どうということはない。
そう思っていた矢先だった。私のささやかな平穏は、三人の来訪者によって、いとも容易く打ち破られた。
「ヴァレリア様! 少々、お話が!」
北の王女フリズカ殿、敗国の王女ヒルデ殿、そして東の王女ファーティマ殿。三人が、何かを決意したような、真剣な眼差しで私の前に立ちはだかる。
「そうですわ! アシュレイ殿、ノクシア殿、そして貴女まで……。これは、あまりに不公平ではございませんこと!? ライル様の血を引く世継ぎは、多ければ多いほど、国の礎となるはずです!」
「わ、わたくしのような奴隷の身では、本来、望むことすら許されませんが……しかし、ライル様のお役に立てるのであれば……!」
「あ、あの、わたくしも、ヴィンターグリュン王国と東方との、永遠の友好の証を、この身をもって……!」
三者三様の、しかしあまりにまっすぐな訴えに、私はこめかみがずきりと痛むのを感じた。
(なぜ、私がこの矢面に立たされねばならんのだ……)
深いため息をつき、私は、この厄介事の元凶である、ライル様の執務室へと向かった。
事の経緯を説明すると、ライル様は「うーん」と、心底困ったように腕を組んだ。
「そっかあ、みんなもかあ……。でも、ウチでアレをするのは、ちょっと子供たちがいるからダメかな? そうだ!」
何かを思いついたように、彼は、ぽんと手を打った。
「みんなが一緒に住める、大きくて綺麗な館を、新しく作るといいんじゃないかな! 資金は、シトラリちゃんからもらった黄金を使おう。あれを、ユリアン皇帝に頼んで、金貨に換えてもらうんだよ!」
(……まあ、発想は悪くない。むしろ、貴族としてはごく普通の考えだ)
あの黄金を、ようやく国のために使う気になったか。少しだけ、感心した。だが、その館の設計と建設監督も、どうせまた、私の仕事になるのだろう。
私は、再び重くなる頭を押さえながら、執務室の机に目をやった。そこには、帝都の貴族たちから送られてきた、珈琲の催促を願う書状が、山のように積まれている。
(なるほど。こんな時、あの黒くて苦い飲み物を、飲みたくなるのだろうな……)
アカツキの都には、珈琲の増産を命じる書状を送ってある。そして、約束通り、シトラリ陛下の元へは、生きたハーグ黒豚のつがいを、最高の船で送り届けた。
きっと、悪いようにはしないだろう。シトラリ陛下は珈琲をたくさん送ってくれるはずだ。
(それにしても、遠い大陸の女皇帝が、今や親戚のようなものとはな……)
あの御方の周りでは、常識も、国境も、何の意味もなさないらしい。
私は、また一つ増えた仕事の段取りを頭の中で組み立てながら、静かに、執務室を後にした。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




