第68話 コーヒーブーム 僕もユリアン皇帝も飲んでいるよ! えっ? こんなに流行っていいの?
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴162年 6月20日 昼 快晴』
ハーグの城門をくぐった瞬間、僕はたまらなくなって叫んでいた。
「ただいまーっ!」
数ヶ月ぶりの、故郷の匂い。土と、緑と、そしてどこからか漂ってくる、ハーグ黒豚の焼ける香ばしい匂い。僕は、真っ先に城の大きな風呂へと飛び込んだ。
「ああ~……生き返る~……」
長い船旅の汚れと疲れを、温かいお湯が全部洗い流してくれるようだった。
さっぱりとした体で自室に戻ると、そこには、僕の愛する家族が待っていてくれた。
「おかえりなさい、ライル!」
アシュレイの笑顔に、僕はたまらなくなって、彼女と、その腕に抱かれた娘のアウロラを、まとめてぎゅっと抱きしめた。床では、少し見ぬ間に大きくなった息子たち、レオとフェリクスが、僕の足に一生懸命にしがみついてくる。
「とーちゃん!」
「あーうー!」
この温もりだ。僕が、命がけで守りたかったものは、いつだって、このささやかな幸せだったんだ。
そんな平和な日々が、数日続いた頃。やっぱり、というべきか、帝都から、ユリアン皇帝陛下の召喚状が届いた。
「またかあ……。今度は、なんだろうね」
僕はヴァレリアにぼやきながらも、帝都へ向かう準備を始めた。その時、ふと、良いことを思いついた。
「そうだ! お土産に、あの黒い豆を持っていこう! ユリアン皇帝、こういう珍しいもの、好きそうだもんな!」
こうして、僕は荷馬車に山のような珈琲豆を積んで、意気揚々と帝都へと向かった。
帝都フェルグラント。玉座の間に通された僕を、皇帝陛下は、いつになく上機嫌で出迎えてくれた。
「ライルよ、見事であった! 貴様が、帝国の、いや、この世界の未知なる脅威を退けたこと、朕は心から、これを賞賛する! 諸侯も、皆、貴様の功績を讃えておるぞ!」
素直に褒められて、なんだか少し、照れくさい。僕は、頭を掻きながら、自慢のお土産を差し出した。
「これ、新大陸で見つけたお土産! 珈琲っていう、黒くて苦い豆なんだけど、飲むとすごく頭がスッキリするんだ!」
皇帝は、興味深そうにその豆を眺めると、早速、侍従に淹れるよう命じた。やがて、玉座の間に、今まで誰も嗅いだことのない、香ばしい、豊かな香りが立ち込める。
皇帝は、恐る恐る、黒い液体を一口、口に含んだ。そして、その目を、カッと見開いた。
「……ほう。この、焦げ付くような苦味と、鼻を抜ける芳醇な香り。そして、飲んだ後に訪れる、この覚醒するような感覚……。面白い! 実に、面白い飲み物だ!」
皇帝は、えらく珈琲を気に入ってしまった。
そして、その日のうちに、事態は僕の想像を遥かに超える方向へと、転がっていった。
皇帝が気に入ったこの新しい飲み物は、あっという間に帝都の貴族たちの間で、最先端の流行となったのだ。
「なんと高貴な香りであろう!」
「これさえあれば、夜を徹しての政務も、舞踏会も、乗り切れそうだ!」
「この、ほろ苦さこそ、真の『大人』の嗜みというものよ!」
帝都では、空前の珈琲ブームが巻き起こった。貴族たちは、我先にと、僕の国へ、珈琲豆の買い付けを求める使者を殺到させたのだ。
数日後。ハーグに戻った僕の元に、交易担当のビアンカが、青い顔で報告にやってきた。
「ライル様、大変です! 帝都の貴族たちから、珈琲豆の注文が、天文学的な量で舞い込んできております! このままでは、とても在庫が……!」
「えっ、そんなに!? あれ、お土産のつもりだったんだけど!?」
自分の、ほんの軽い気持ちが、とんでもない社会現象を引き起こしてしまった。僕は、真っ青になった。
(ひええええ! シトラリちゃんに、もっと送ってもらうように、すぐに手紙を書かないと……! これがなかったら、きっとユリアン皇帝に、すごく怒られちゃうよぉ~!)
僕は、自分の幸運と、そしてそれを上回る不運を、ただただ呪うことしかできなかった。
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