第64話 女皇帝の涙
【ライル視点】
『太陽暦 999年 2月15日 昼 晴れ』
本国からノクシアちゃんが送ってくれた三千のブルーコート兵が到着し、アカツキの都は、ようやく一つの拠点として形になりつつあった。兵士の数は四千に増え、僕の発案で作られた巨大な土塁も、今では街をぐるりと囲む、頼もしい壁となっている。港の整備も始まり、この異国の地に、僕たちの国の一部が、確かに根付き始めている。そんな実感があった。
このまま、少しずつ、この大陸の人たちと仲良くなっていければいいな。
そんな穏やかな昼下がりの希望は、突如として鳴り響いた警鐘の音によって、いとも容易く打ち砕かれた。
「敵襲! 敵襲! 西より、所属不明の大軍勢が接近中!」
僕とヴァレリアは、急いで土塁の上へと駆け上がった。
そこに広がっていたのは、地平線を埋め尽くさんばかりの、圧倒的な数の軍勢だった。兵力は、一万……いや、二万はいるかもしれない。色とりどりの羽飾りをつけた兵士たちが、槍や戦斧を手に、整然とこちらへ向かってくる。その軍勢が掲げる旗には、黄金色に輝く、威厳に満ちた太陽の紋章が描かれていた。
僕の隣で、その光景を見ていたイセルちゃんの顔から、さっと血の気が引いた。彼女は、震える声で叫ぶ。
「あ、あの御旗は……! 偉大なる太陽の化身、アズトラン帝国が女皇帝、シトラリ陛下のものにございます!」
「女皇帝……自らか」
ヴァレリアが、ごくりと喉を鳴らす。
数の上では、圧倒的に不利だ。僕は、即座に決断した。
「よし、籠城だ! 全員、土塁の内側へ! 銃兵は配置につけ!」
僕の号令一下、ブルーコート兵たちが、訓練通りに、寸分の狂いもない動きで土塁の上に銃を構えていく。その冷徹な光景に、さすがの敵軍も、警戒して足を止めた。
やがて、敵陣の中央から、何十人もの男たちに担がれた、黄金に輝く豪華な輿が、ゆっくりと前に進み出てきた。
輿の薄いカーテンが、静かに開かれる。そこに座っていたのは、年の頃は僕と同じくらいだろうか。若く、しかし、この世の全てを支配する者だけが持つ、絶対的な威厳をその身にまとった、美しい女性だった。彼女が、アズトラン帝国の女皇帝、シトラリ。
通訳のクララちゃんを通して、彼女が、凛とした声で語りかけてくる。
「東の蛮族の王、ライルよ。妾は、戦いに来たのではない。ただ、一つの真実を、この目で見定めるために参った」
彼女の真剣な瞳が、僕をまっすぐに見据える。
「貴様らが広めているという、神を冒涜する偽り……生贄を捧げずとも、太陽は昇る、と。もしそれが真であれば、我らが帝国と、民が流してきた血の歴史は、全て、意味を失う。……妾に、見届けさせよ。今宵、この都で、貴様らの言う『真実』とやらを」
「うん、いいよ」
僕は、あっさりと答えた。
「好きなだけ、見ていくといい。太陽は、誰かの血なんて欲しがらない。ただ、みんなを照らしてくれるだけだから」
その夜、女皇帝シトラリは、わずかな供だけを連れ、アカツキの都に入った。彼女は、かつて彼女の民が神殿と呼んだ丘の頂で、一睡もすることなく、ただひたすらに、東の空を見つめ続けていた。
そして、夜明け。
生贄の儀式はない。祈りの声も、血の匂いもない。
だが、水平線の彼方が、ゆっくりと、しかし確実に白み始め、やがて、荘厳な光の奔流と共に、偉大なる太陽が、その姿を現した。
その、あまりにも美しく、絶対的な光景を前に、女皇帝の気丈な仮面が、音を立てて崩れ落ちた。彼女の大きく見開かれた瞳から、一筋の涙が、つーっと、頬を伝う。
「……妾の……民の、流してきた血は……」
彼女は、天を仰ぎ、絞り出すように呟いた。
「妾のやってきたことは、なんじゃったのか……」
完全に打ちのめされた彼女の前に、僕は、そっと歩み寄った。そして、何も言わずに、昇りゆく太陽を指さす。
次の瞬間、女皇帝シトラリは、その場に崩れるようにして、僕の前にひざまずいた。
「王よ……。いや、真の光を導く者よ。このシトラリ、そしてアズトラン帝国は、今日この日より、貴方が説く、慈悲深き女神の教えに帰依いたしましょう。我らを、お導きください」
アズトラン帝国。この広大な大陸を支配していた巨大な国家が、武力によってではなく、たった一つの、当たり前の真実によって、事実上、僕の軍門に降った、その瞬間だった。
僕は、そのことの本当の重大さを、まだ、よくわかっていなかった。
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