第63話 隣の都市? えっ? 降伏ってどういうこと!?
【黄昏の都ウェスペル 太陽神官シウトル視点】
『太陽暦 998年 12月20日 昼 曇り』
我、黄昏の都ウェスペルを預かる太陽神官、シウトルの心は、厚い雲に覆われていた。
ここ数日、我が都では、東から吹く風に乗って、あまりに不吉で、神を冒涜するような噂が囁かれていたからだ。
「聞いたか? 東の『黄金の都テノク』が、異邦人に滅ぼされたらしい」
「ああ……。だが、それだけではない。かの都では、生贄を捧げずとも、太陽が昇ったというのだ……」
(馬鹿な……。ありえん)
生贄の心臓なくして、偉大なる太陽神が、どうして闇の底からお戻りになられるというのか。だが、その噂は日に日に真実味を帯び、民の間に、静かな、しかし確かな動揺を広げつつあった。このままでは、我らが長年築き上げてきた信仰と秩序が、根底から揺らぎかねない。
(……我が、この目で確かめるしかあるまい)
我は、数人の供だけを連れ、噂の渦中にある東の都……今は『アカツキの都』などという、奇妙な名で呼ばれている場所へと、向かうことを決意した。
アカツキの都に足を踏み入れた我は、その異様な光景に言葉を失った。
確かに、街は青い服を着た異邦の兵士たちによって支配されている。だが、そこに悲壮感はない。むしろ、奇妙な活気が満ち溢れていた。住民たちは、兵士たちと共に、街の周りに巨大な土の山を築いている。その顔に、絶望の色はなかった。
我は、この街を支配するという、ライルと名乗る王への面会を求めた。
通されたのは、かつて神官長のいた部屋。だが、そこに王の姿はなく、代わりに、二人の少女が我を待っていた。一人は、どこか気高い雰囲気をまとった、現地の少女。そしてもう一人は、異邦の書記官だという、片眼鏡の少女だった。
「……あなたが、この街の代表か」
我の問いに、片眼鏡の少女、クララと名乗る者が、たどたどしい我らの言葉で答えた。
「いえ……。私は、通訳、です。こちら、イセル様が、王の代理として、お話を……」
イセル。その名には聞き覚えがあった。テノクの都で、次の生贄に選ばれていたはずの、聖なる乙女。
「お前が、元生贄の……。では、問う。生贄なくして、本当に太陽は昇ったのか。神を欺く、偽りの噂ではないのか」
我が強い口調で問いただすと、イセルと呼ばれた少女は、静かに、しかし力強く、首を横に振った。そして、クララの通訳を通して、はっきりと告げたのだ。
「偽りでは、ありません。私は、この目で真実を見ました。我らが捧げてきた血は、偽りの神を喜ばせるためのものでした。真の光は、見返りを求めず、万物を平等に照らしてくださいます。東の王は、その『慈悲深き女神』の教えを、我らに示してくださったのです」
その言葉に、我が心は、大きく揺さぶられた。
我は、半信半疑のまま、この街で一夜を明かし、自らの目で真実を確かめることを許された。
その夜、我は眠らず、かつての神殿の跡地で、ただひたすらに祈りを捧げ続けた。
やがて、闇が最も深くなる。心臓が、恐怖に締め付けられる。
だが……。
(……ああ)
東の空が、白み始めた。
誰の血も流されていない。誰の心臓も、捧げられていない。
それなのに、いつもと何一つ変わらず、荘厳な光と共に、偉大なる太陽が、ゆっくりと、しかし確実に、その姿を現したのだ。
その、あまりに神々しく、絶対的な光景を前に、我は膝から崩れ落ちた。我が信じてきた世界が、音を立てて、足元から崩れていく。
呆然とする我の前に、いつの間にか、あのライル王が立っていた。彼は、僕の前にしゃがみ込むと、まるで子供に言い聞かせるように、優しく、そして屈託のない笑顔で言った。
「どう? 太陽は、誰の血も求めなくたって、みんなを平等に照らしてくれるんだよ」
その言葉と、その背に輝く太陽の光が、奇妙に重なって見えた。この男こそが、真の光を導く者。我は、そう確信した。
我は、その場で深くこうべを垂れ、女神教への改宗と、ライル王への永遠の忠誠を誓った。
黄昏の都ウェスペルへと戻った我は、民を広場に集め、全てを語った。
我らの信仰が、偽りであったこと。そして、東の王が、真の光と共に、新たな教えをもたらしてくださったこと。民は、最初は混乱し、ざわめいた。だが、神官長である我の、魂からの言葉を、彼らはやがて、静かに受け入れていった。
こうして、我が都ウェスペルは、一滴の血も流すことなく、戦うことさえなく、自ら進んで、ヴィンターグリュン王国の軍門に降った。
その報告が、アカツキの都にいるライル王のもとへ届けられた時、彼は「えっ? 隣の都市が、降伏? どういうこと!?」と、心底驚いていたという。
彼の知らないところで、彼の存在そのものが、この新大陸の歴史を、根底から塗り替え始めていた。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




