第59話 太陽の生贄
【アズトラン帝国神官長 テスカ視点】
『太陽暦 998年 12月10日 夜 晴れ』
偉大なる太陽が、その姿を隠している。
夜の闇が、我らが都『黄金の都テノク』を、まだ支配している。
都の中心にそびえる大地の神殿。その頂で、我、神官長テスカは、黒曜石でできた儀式の短剣を、冷たい夜空へと掲げた。
眼下には、何万という民が、松明を手に、祈りの言葉を唱えている。彼らの声が、一つの巨大なうねりとなって、天へと昇っていく。
「おお、偉大なる太陽よ! 我らの父よ! 今こそ、その御力を!」
我が声に、民の祈りが一層、熱を帯びる。
足元には、先の戦で捕らえた、異民族の捕虜がひざまずかされている。彼の目には、恐怖と、諦めが浮かんでいた。
(恐れることはない、友よ。お前の命は、無駄にはならぬ。お前の心臓は、この世界に、再び光をもたらすための、最も尊い供物となるのだ)
我は、祈りを捧げ、短剣を振り下ろした。
民の熱狂的な歓声が、闇を切り裂く。我は、その手に握られた温かい心臓を、東の空へと掲げた。これで、太陽は、また昇る。
儀式を終えた我々は、民と共に、東の海岸へと向かった。
砂浜にひざまずき、ただ、ひたすらに祈る。やがて、水平線の彼方が、わずかに白み始めた。そして、荘厳な光の奔流と共に、偉大なる太陽が、その黄金の顔を現した。
「おお……! おおおっ!」
民衆から、安堵と歓喜の声が上がる。我もまた、胸をなでおろした。神官長として、支配者として、民との約束を、今日も果たせたのだ。
その、穏やかな安堵の空気を切り裂いたのは、沖の見張り台から放たれた、甲高い角笛の音だった。
「なんだ!?」
我々が、一斉に東の海へと視線を向ける。
そこに、信じられない光景が広がっていた。水平線を埋め尽くすほどの、巨大な船団。我々の知るどんな船とも違う、異様な形をした船が、青い旗をはためかせながら、こちらへ向かってくる。
「て、敵襲か!? いや、あれは……」
船の数はおよそ五十。見たこともない異邦人。だが、我の心に、恐怖はなかった。むしろ、歓喜が湧き上がっていた。
「全軍、集結せよ! 武器を取れ!」
我が号令一下、都から、屈強な戦士たちが、次々と海岸へと集まってくる。その数、およそ二千。誰もが、戦斧を手に、弓を背負い、戦いの熱気に体を震わせている。
やがて、異邦の船団から、小さな舟が次々と降ろされ、こちらへと向かってきた。
舟から降り立ったのは、奇妙な青い服を着た兵士たちだった。彼らは、重い鎧もまとわず、ただ、黒い鉄の棒のようなものを手に、一糸乱れぬ隊列を、砂浜の上に作り上げていく。その数、およそ千。
我は、数の上での優位を確信した。
(天の恵みか! 神が、次なる儀式のための生贄を、自ら遣わしてくださったわ!)
我は、にやりと口の端を歪めると、天に戦斧を掲げ、高らかに叫んだ。
「突撃! 神に捧げる、新たな供物を捕らえよ!」
「「「オオオオオオオッ!」」」
二千の戦士たちが、鬨の声を上げ、砂浜を揺るがしながら突撃する。我もまた、その先頭に立ち、獲物へと向かって駆けた。
だが、青い服の兵士たちは、少しも動じる様子がない。ただ、静かに、その黒い鉄の棒を、こちらへと向けているだけだった。
(愚か者め、死ね!)
我の斧が、敵の喉を掻き切る、その瞬間を想像した。
しかし、次の瞬間。
ズガガガガガガガッ!
世界が、音と光に包まれた。
耳をつんざく轟音。目の前で弾ける、無数の炎。そして、我が体に突き刺さる、凄まじい衝撃。
痛みも、苦しみも、感じる暇はなかった。
我が意識は、自分が何によって殺されたのかを、まったく理解できないまま、永遠の闇の中へと、沈んでいった。
神官長テスカと、精鋭の戦士たちを、一瞬にして失った『黄金の都テノク』の軍勢は、その戦意を完全に喪失した。
目の前で起きた、あまりに理解不能な殺戮。天罰とも思えるその光景に、彼らは武器を捨て、その場にひれ伏した。
都は、その日のうちに、血を流すことなく開城した。
砂浜には、静かに硝煙が立ち上る中、ただ、ヴィンターグリュン王国の青い軍服だけが、整然と、そして冷徹に、立ち尽くしていた。
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