第51話 観戦者
【ユリアン皇帝視点】
『アヴァロン帝国歴161年 5月17日 昼 快晴』
眼下に広がる『審判の平原』で、二つの軍勢が、まるで盤上の駒のように対峙していた。
我、アヴァロン帝国皇帝ユリアンは、供の者も最低限に、小高い丘の上の森の中から、その光景を静かに眺めていた。
「……陛下。ヴェネディクト侯の布陣、見事なものです。重装歩兵による盾の壁は、いかなる突撃をも阻むでしょう。伝統に則った、まさに鉄壁の陣ですな」
隣に立つ、ランベール侯爵が感心したように呟く。奴は、娘婿の軍の実力を、この目で見たいと、今回の視察に自ら同行を申し出たのだ。
(伝統、か。その伝統とやらが、北の田舎王が持ち込んだ、新しい『理』の前で、どこまで通用するか。見ものよな)
我は、この決闘を承認した。ヴェネディクト侯の面子を立てる、という名目でな。だが、真の目的は違う。
この目で、確かめねばならん。あのライルとかいう男が作り上げた、『ブルーコート』とやらが持つ、本当の力を。
やがて、開戦を告げるラッパが鳴り響き、ヴェネディクト侯の軍勢が、地響きを立てて前進を始めた。鉄の城壁が、ゆっくりと、しかし圧倒的な圧で、ライルの軍へと迫っていく。
「ふむ。どうする、ライルよ」
我の呟きに答えるかのように、ライルの陣営が動いた。両翼から、数騎の馬に引かれた、小さな大砲が姿を現す。
「あれは……!?」
ランベール侯が、目を見開く。そうだ、貴様も知らぬ、奴の新しい玩具よ。
次の瞬間、小気味の良い炸裂音が、連続して平原に響き渡った。砲弾は、面白いように鉄の壁の側面を抉り、砕き、穴を穿つ。あれほど強固に見えたヴェネディクト侯の前衛は、あっという間にその秩序を失い、混乱に陥った。
「……見事な砲兵運用だ。だが、勝負はここから」
我が、真に見たいと渇望していた光景が、ついに始まる。
盾を失い、混乱する敵軍の前に、青い軍服の集団が、静かに進み出た。そして、千の銃口が、まるで一本の黒い線のように、敵に向けられる。
轟音。
絶え間なく続く、千の雷鳴。
それは、もはや「戦」ではなかった。ただ、冷徹な「作業」。個人の武勇も、騎士の誇りも、名誉も、何一つ意味をなさない、一方的な殺戮の工程。伝統という名の古びた鎧は、暴力的なまでの合理性の前で、いとも容易く引き裂かれていった。
ランベール侯が、隣で息をのんだまま、完全に沈黙している。無理もない。今、彼の目の前で、これまでの戦争の常識が、全て、過去のものになったのだから。
(ククク……面白い。実に、面白いぞ、ライル・フォン・ハーグ)
あの男は、ただ幸運だっただけの道化ではない。奴は、無自覚なまま、この世界のルールそのものを書き換える、神か、あるいは悪魔か。
戦いは、一時間も経たずに終わった。
我は、静かに馬を進め、勝者を出迎えるべく、丘を下った。
硝煙の匂いが立ち込める平原で、ブルーコート兵たちは、すでに何事もなかったかのように、整然と隊列を組み直している。その中心で、ライルは、兜も脱ぎ、疲れたように空を見上げていた。その姿は、英雄というより、長い畑仕事の後に一息つく、ただの農夫のようだった。
パチ……パチ……パチ……。
我は、馬上から、ゆっくりと、しかし、はっきりと聞こえるように、拍手を送った。
その音に気づいたライルが、こちらを向き、目を丸くする。
「あれ、ユリアン皇帝!? それに、ランベール侯爵まで!」
我は、彼の前に馬を止めると、満面の笑みを浮かべて言った。
「見事な戦いだったぞ、ライル。褒めてつかわす。……今度、帝都で食事でもどうだ?」
我が、最大限の賛辞と、親愛を込めて、そう誘うと、ライルは、いつもの気の抜けた、人の良い笑顔で、あっさりと答えた。
「うん、行くよ~」
その屈託のない返事を聞き、我は思わず声を上げて笑ってしまった。
権力も、陰謀も、何もかもを飛び越えて、ただ面白いからという理由だけで、手を結ぶ。
(……なるほどな)
どうやら我はこの退屈な世界で、初めて腹を割って話せる良き友を見つけられたらしい。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




