第44話 王様だって遊びたい! だって、串焼きが美味しいってユーディルが言ってた!
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴159年 12月5日 昼 快晴』
その日、スースの街の統治を後任に任せたユーディルが、ハーグへと帰還した。彼は長い旅の疲れも見せず、僕の執務室に現れると、一枚の報告書を差し出した。
「スースの街は、順調に復興の軌道に乗っております。新たな統治体制も、問題なく機能するでしょう」
「そっか、ありがとう、ユーディル。お疲れ様」
僕が労いの言葉をかけると、彼は漆黒のローブの奥で、わずかに口元を緩めた。
「いえ。それよりもライル王、ハーグの街は、しばらく見ぬ間に、また一段と活気に満ち溢れましたな。先ほど、城下を少し散策してまいりましたが……」
ユーディルは、まるで極上のワインの味を語るかのように、うっとりとした表情で続けた。
「東通りの角にある屋台の、豚の串焼きが、なかなかの美味でして。秘伝のタレと、炭火の香りが絶妙に絡み合い……」
「ごくり……」
僕は、ユーディルの言葉巧みな食レポに、思わず喉を鳴らした。ここ最近、僕は王としての勉強や公務に追われ、城の外に出ることすらままならなかった。僕の国で、そんなに美味しいものが売られているなんて。
(いいなあ……僕も、食べたいなあ……。王様だからって、我慢ばっかりじゃ、やってられないよ!)
その日の夜。僕は、クローゼットの奥から、農民だった頃に着ていた、古びた麻の服と、フードのついたマントを引っ張り出していた。
(よし! これなら、誰も僕が王様だなんて思わないはずだ!)
僕は、レオが眠るアシュレイの寝室と、最近僕の部屋で寝ることが多くなったヴァレリアの部屋をそっと通り過ぎ、城の裏口から、夜の街へと繰り出した。
お忍び王の、市場探訪だ!
夜のハーグは、僕の知らない顔を見せていた。酒場からは陽気な歌声が漏れ、家々の窓からは温かい光がこぼれている。そして、僕の鼻をくすぐるのは、様々な食べ物の匂いだ。僕は、その香りに誘われるように、ユーディルが言っていた東通りへと足を向けた。
あった! 目的の屋台だ。煙をもうもうと上げる七輪の上で、肉厚な豚肉が、じゅうじゅうと音を立てて焼かれている。甘辛いタレの焦げる匂いが、たまらない。
「おじさん、これ、一本ちょうだい!」
「へい、お待ち!」
熱々の串焼きを受け取り、一口かぶりつく。
(う、うまいっ!)
炭火でカリッと焼かれた表面と、中から溢れ出すジューシーな肉汁。秘伝のタレが、その旨味をさらに引き立てている。夢中で串焼きを頬張っていると、すぐ近くで、怒鳴り声が聞こえた。
「おい、オヤジ! さっさとショバ代を払いな! 払えねえって言うなら、この店も終わりだぜ!」
見ると、ガラの悪そうな傭兵崩れの男たち数人が、屋台の主人に絡んでいた。周りの人々は、怖がって遠巻きに見ているだけだ。
(……せっかく、美味しい串焼きを食べてるのに)
僕は、正義感からじゃない。ただ、この美味しい屋台がなくなるのは、絶対に嫌だった。僕は、男たちの前に進み出た。
「あのさ、困らせるのはやめてあげなよ。この串焼き、すごく美味しいんだから」
「ああん? なんだ、てめえ。英雄気取りか?」
男の一人が、僕の胸を突き飛ばしてきた。だが、日頃の農作業と、最近の訓練で鍛えられた僕の体は、びくともしない。僕がバランスを保とうと一歩足を踏み出した、その時。僕の足が、運悪く地面の窪みにはまった。
体勢を崩した僕は、前のめりになり、目の前の男にぶつかってしまう。男は、まるで将棋倒しのように、後ろにいた仲間たちを巻き込んで、派手にひっくり返った。
ドッシャーン!
何が起きたのかわからず、呆然とする僕と、傭兵たち。やがて、我に返った男たちが、怒りで顔を真っ赤にして立ち上がった。
「このガキ……! ただじゃおかねえぞ!」
彼らが剣の柄に手をかけた、その瞬間だった。どこからともなく現れた黒い影が、音もなく男たちの背後に回り、その首筋に、寸分の狂いもなく手刀を叩き込んだ。男たちは、声も出せずに、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
あまりに鮮やかな手際に、僕も、周りの野次馬たちも、あっけに取られていた。僕のフードが、いつの間にか脱げてしまっている。
屋台の主人が、僕の顔をまじまじと見つめ、やがて、震える声で叫んだ。
「ま、まさか……そのお顔は……! ら、ライル国王陛下!?」
その一言で、広場の空気が凍りつく。そして、次の瞬間、爆発したような歓声が夜空に響き渡った。
「おおお! 俺たちの王様だ!」
「王様が、直々にお忍びで、街の平和を守ってくださったぞ!」
「え、いや、僕はただ、串焼きが食べたかっただけで……」
僕の弁解は、熱狂的な歓声にかき消されていく。僕は、民衆に揉みくちゃにされてしまう。
「はいはい、ごめんよ~! 城へ帰るから、また遊びにくるね~!」
親切な民衆と店の主人が、僕を通してくれた。
なんとか抜け出して城へ走っていると、広場の隅の建物の屋根の上で、腕を組んで満足げに頷いているユーディルの姿を、確かに見た気がした。
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