第42話 北方の収穫祭をやるよ! みんなおいで~!
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴159年 11月3日 昼 快晴』
ヴィンターグリュン王国は、建国以来、最高の収穫に恵まれた。その喜びを、僕の国の民、全員で分かち合いたい。僕はそう思って、王国全土での収穫祭の開催を宣言した。
首都ハーグの広場は、朝から晩まで、まるでお祭り騒ぎだ。山と積まれたポテトやコーン、そして大豆を使った料理がテーブルに並び、中央では何頭もの『ハーグ黒豚』が、香ばしい匂いをあたりに振りまきながら丸焼きにされている。人々はエールを飲み、音楽に合わせて踊り、歌っていた。
このお祭りは、ここハーグだけじゃない。北方のスカルディアやニヴルガルドでも、フリズカさんやヒルデさんたちが中心となって、盛大に開かれているはずだ。復興を始めたばかりのスースにも、ユーディルを通じて、ささやかながらもお祭りができるだけの食料を贈っておいた。みんな、今頃笑っているといいな。
僕も、エールの杯を片手に、陽気な音楽に合わせて体を揺らしていた。そんな僕の様子を、二人の女性が、少し離れた場所から微笑ましげに眺めていた。僕の妻であるアシュレイと、お腹に僕の子を宿しているヴァレリアだ。
「みんな、美味しそうにお酒を飲めていいっスねえ。わたしはまだ、もうちょっとだけ我慢っス」
アシュレイが、少し羨ましそうにジュースの入った杯を揺らす。
「ふふふ、それは私もよ。まあ、この子のことを考えれば、大した苦労ではないけれど」
ヴァレリアも、穏やかな笑みを浮かべていた。最近の彼女は、騎士の鎧の上からでもわかるくらい、お腹のあたりがふっくらとしてきている。
「このままでは、愛用の鎧が着れなくなってしまいそうです。どうしましょう」
少し前まで本気で心配していた彼女だったが、アシュレイから「大丈夫! 産んだらちゃんと元に戻るっスよ!」と力強く断言され、ようやく安心したようだった。母親同士、二人の間には、新しい絆が芽生え始めているようだった。
祭りが一番の盛り上がりを見せた、その時だった。西の街道から、大きな歓声と共に、一団の隊商が現れた。先頭に立つのは、ビアンカだ。彼女は、西の都市フィオラヴァンテから、とてつもない贈り物を運んできてくれたのだ。
「ふっふっふ、皆さん! これは、私がフィオラヴァンテの商人たちから買い付けた、牛さんたちです! これがいれば、畑を耕す作業がもっと楽になります! さらに、栄養満点のミルクも搾れて、チーズだって作れるようになりますよ!」
ビアンカが、得意げに胸を張ると、広場からは「おおおおっ!」「牛だ!」「ビアンカ様、ありがとう!」という、地鳴りのような歓声が上がった。ビアンカは、一瞬にしてこの日の英雄になっていた。
そんな喧騒から少し離れ、僕は一人、夜空を見上げていた。すると、いつの間にか、すぐ隣に商人の身なりをした男が立っていた。その顔には、見覚えがあった。
「陛下……」
「よう、ライル。楽しんでいるようだな。少し、二人だけで話がしたい」
ユリアン皇帝はそう言うと、僕を人気のない城壁の上へと促した。
「なあ、ライル。銃、あれの演習を朕もやってみたのだが……。撃った後の、あの妙な高ぶり、お前はどうしている?」
皇帝のあまりに率直な問いに、僕は一瞬言葉に詰まったが、その真剣な眼差しを見て、意図を汲んで正直に答えることにした。
「正直に申し上げますと、かなり昂ります。自分でも、どうしようもなくなるくらいに……。それで、その……ヴァレリアを、めちゃくちゃに抱いてしまいました。最近は、ノクシアも……」
「そうか……やはり、そうなるか。ランベール侯爵家のご令嬢に続き、闇の女教皇までもか……」
皇帝は、呆れたように、しかしどこか納得したように呟くと、気まずそうに視線をそらした。
「……いや、実はな、朕もそうなのだ。銃の演習をした夜は、どうにも見境がなくなってしまってな……。おかげで、世継ぎには苦労せずに済みそうだがな……」
「そうですか……陛下も……」
一国の皇帝が抱える、意外な悩み。僕は、この絶対的な権力者に、男として、初めて奇妙な親近感を覚えていた。
「なあ、ライル」
皇帝は、ふと真剣な顔で僕を見た。
「もしも、我が子が帝位を継ぐようなことがあれば、お前が後見人になってはくれぬか」
「えっ? 僕なんかでいいんですか?」
「お前しかおらん。……最悪の場合は、お前が帝位についても良い。選帝侯とは、そういうものだ……」
その言葉の重みに、僕は息をのんだ。ただの農民だった僕が、帝国の運命を左右する立場にいる。その実感が、ずしりと両肩にのしかかってきた。
「今日は、話ができてよかった。また来る……」
皇帝はそれだけ言うと、供回りを連れ、来た時と同じように、ふらりと祭りの喧騒の中へと消えていった。
一人残された僕は、遠くで響く人々の楽しげな声を聞きながら、皇帝から託された、あまりに重い責任について、ただ呆然と考えていた。
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