第41話 ヴァレリアの家族からの手紙
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴159年 10月25日 昼 晴れ』
ヴィンターグリュン王国の秋は、穏やかに過ぎていこうとしていた。
僕とアシュレイの息子、レオはすくすくと育ち、いつものように「あうー」とか「だー」とか、意味のあるような、ないような声を上げては、僕たち夫婦を笑顔にさせてくれる。母親になったアシュレイは、工房にいる時とはまた違う、優しい顔を見せることが多くなった。
畑では、最後の収穫作業が終わり、冬に備えて、山のようなポテトやコーン、そして今年初めて本格的に収穫できた大豆が、次々と倉庫へと運び込まれていく。ゲオルグさんが試行錯誤の末に完成させた豆腐は、すっかり僕たちの食卓に欠かせないものになっていた。味噌はまだうまくできないという。
(平和だなあ……。毎日、美味しいご飯が食べられて、みんなが笑ってて。前も思ったけど、王様っていうのも、悪くないかもしれないな)
そんな、のんびりとした日常に、小さな、しかし心温まる事件が起きたのは、つい先日のことだった。
スースの街の復興を監督してくれていた、農業担当のゲオルグさんがハーグに帰ってきたのだ。日に焼けた顔は、仕事の充実ぶりを物語っていた。そして、彼の後ろには、はにかみながら僕たちに頭を下げる、一人の素朴な雰囲気の女性がいた。
「ライル様、ご報告が。こちら、私の嫁さんのアンナです。スースの村で出会いまして……その、一緒になりました」
ゲオルグさんが、照れくさそうに頭を掻く。隣に立つアンナさんと名乗った女性は、土いじりで鍛えられた、節くれだった、力強い手をしていた。聞けば、二人で荒れ果てた畑を耕し、種を蒔き、芽が出るのを喜び合ううちに、自然と惹かれ合ったのだという。
「わあ、すごいよゲオルグさん! おめでとう!」
僕は、自分のことのように嬉しくなって、すぐに二人のための結婚式を執り行うことを決めた。
街の広場には、急ごしらえながらも温かい雰囲気の宴席が設けられ、住民たちが二人を祝福するために集まってくる。もちろん、ご馳走はヴィンターグリュン自慢の豚汁と、山盛りのポテト料理だ。
「ゲオルグさん、アンナさん、おめでとう!」
「幸せになれよー!」
傭兵たちも、農夫たちも、みんなが笑顔で二人の門出を祝っていた。その光景を見ているだけで、僕の心も温かくなる。この国は、本当にいい国になったなあ、と心から思った。
ゲオルグさんの結婚式が終わり、一息ついた夜。僕は執務室で、スースの今後について話し合っていた。
「農地の開拓は、アンナと村の者たちで、なんとか進めていけます。ですが、街全体の統治や治安維持となりますと、やはり専門家のお力が必要かと……」
ゲオルグさんの報告に、僕は頷いた。そして、以前ノクシアちゃんと話した通り、この役目を任せる人物を呼ぶ。
「ユーディル、聞こえているかい?」
「は。ここに」
いつの間にか、部屋の隅の影の中に、ユーディルが音もなく立っていた。
「スースの街の統治を、君に任せたい。闇ギルドの力を使って、あの街に新しい秩序と活気をもたらしてほしいんだ。ちゃんと君の後任を決めたら、かえっておいで」
「御心のままに、我が主よ。このユーディル、必ずやご期待に応えてみせましょう」
ユーディルは深く一礼すると、再び影の中へと溶けるように消えていった。これで、スースの復興も、本格的に軌道に乗るだろう。
全てが順調に進んでいる。そう思っていた。
とんでもない爆弾が、一通の手紙という形で僕の足元に投下されるまでは。
その手紙は、帝都からではなく、帝国の南部から届けられた。やけに上質で、高価な香りがする羊皮紙。そして、格式高い家の紋章が刻まれた、真っ赤な封蝋。それは、ヴァレリア個人に宛てられたものだった。
手紙を受け取ったヴァレリアは、不思議そうな顔で封を切った。だが、その内容に目を通した瞬間、彼女の顔から、さっと血の気が引いていくのがわかった。普段、どんな戦場でもポーカーフェイスを崩さない彼女が、まるで幽霊でも見たかのように、わなわなと震えている。
「ど、どうしたの、ヴァレリア!? 顔が真っ青だよ!」
僕が慌てて声をかけると、彼女は震える声で、絞り出すように言った。
「……じ、実家からです……」
「実家? ヴァレリアさんの?」
「はい……。実は、私の家は、南部の……その、ランベール侯爵家と申しまして……」
「ええええええええっ!? こ、侯爵様のお嬢さんだったの!?」
僕は、椅子から転げ落ちそうになった。騎士だとは聞いていたけど、まさか、帝国内でも指折りの名門貴族の令嬢だったなんて!
ヴァレリアは、そんな僕の驚きを気にする余裕もなく、手紙の内容を、途切れ途切れに読み上げ始めた。
「『……愛しいヴァレリアへ。貴女が、北方の地で子を身ごもったと、風の噂に聞きました。相手は、かの辺境伯にして王になられたライル様とのこと。驚きましたが、貴女が選んだ方なら、きっと素晴らしいお方に違いありません。子が生まれましたら、父と母とで、可愛い孫の顔を見に、そちらへ参ります。今から、とても楽しみにしていますわ。母より』……」
読み終えたヴァレリアは、手紙を持ったまま、完全に固まってしまった。僕も、同じだった。
「こ、侯爵様ご夫妻が……来る……?」
「ど、ど、どうしましょう、ライル様!? わ、私は、騎士になる夢を追って、勘当同然に家を飛び出してきた身です! 今さら、どのような顔で父上と母上に会えば……!」
「僕だってどうすればいいんだよぉ! 相手は侯爵様だよ!? 僕、ただの農民だよ!? 挨拶の仕方とか、テーブルマナーとか、貴族の作法なんて、何一つ知らないんだから!」
僕とヴァレリアは、一国の王とその騎士団長という立場も忘れ、二人して頭を抱え、ただただうろたえることしかできなかった。
そんな僕たちの情けない様子を、執務室の隅でレオをあやしていたアシュレイが、じっとりとした目で見つめていた。やがて、彼女は、この日一番の深いため息を、はぁ……とついた。
「……あんたたち、二人して、一体何やってんのよ。一国の王と、その右腕でしょ? もう、お腹の子の父親と母親になるんだから、少しはしゃんとしなさい、しゃんと。なるようにしか、ならないんだからさ」
アシュレイの呆れた、しかし妙に落ち着いた一喝に、フリズカさんやヒルデさんも、それぞれの反応を見せる。
「まあ! ヴァレリアも、そのような高貴なご出身でしたのね! 素晴らしいですわ! これで、ライル様の血筋は、さらに権威あるものになりますわね!」
「侯爵様ご夫妻が……。わたくしのような奴隷の身では、お目にかかることすら、許されませんわ……」
「……パパと、ママ……温かい……?」
ノクシアちゃんが、不思議そうに首を傾げている。
アシュレイに叱咤され、僕とヴァレリアは少しだけ我に返った。そうだ、僕たちはもう、大人なんだ。王様と、お母さんなんだから。
「……まあ、とりあえず……お客さんを迎える前に、お城の大掃除から始めないとね……」
僕が、なんとか絞り出した間の抜けた一言に、ヴァレリアは力なく頷いた。
これから訪れるであろう、とてつもない嵐(義理の父母の訪問)の予感に、ヴィンターグリュン王国の平和な秋の空が、少しだけ曇って見えた。
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