第36話 ヴィンターグリュン・ローテーションの衝撃
【ユリアン皇帝視点】
『アヴァロン帝国歴159年 8月25日 昼 晴れ』
帝都の執務室で、我は北からの報告書を読んでいた。あのライルとかいう男、我からせしめたトマトを、今年は植えずに土壌の準備に充て、来年から本格的に栽培を始めるという。実に、理にかなった判断だ。農民上がりの知識が、思わぬ形で国を豊かにしているらしい。
だが、我の心を占めているのは、そんな些末なことではなかった。
先日の、黄金獅子団との戦。大陸最強と謳われたあの傭兵団が、どうして一日も経たずに、しかも一方的に蹂躙されたのか。ライルの軍が使ったという新兵器『銃』、そしてその運用方法……。報告書だけでは、その本質が掴めぬ。
(……これは、この目で見ておかねばなるまい)
我は、数名の側近だけを連れ、一介の商人を装って、ヴィンターグリュン王国へと向かった。いわゆる、お忍びというやつだ。
数年ぶりに訪れたハーグの街は、もはや辺境の街ではなかった。活気に満ち、人々は笑い、畑は青々と茂っている。我は、その異様なまでの発展ぶりに舌を巻きながら、城へと向かった。
王であるはずのライルは、畑の脇で、赤子を抱いた銀髪の妻と、泥だらけの農夫たちと一緒に、楽しそうに笑っていた。
我がおもむろに姿を現すと、ライルは目を丸くした後、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「あれ、ユリアン皇帝! どうしたの、こんなところまで!」
「少し、な。……ライルよ、単刀直入に聞く。先の大戦、いかにして勝利した? その戦術を、この我に見せてはくれぬか」
「ああ~いいですよ! ユリアン皇帝にはお世話になってますから! それじゃ危ないから離れてみてね!」
ライルは、悪戯が成功した子供のように笑うと、すぐに兵を集め、軍事訓練を始めるよう命じた。
練兵場に、千の兵士が、縦に十列の奇妙な陣形で並ぶ。その先には、鹵獲品であろう、鉄の鎧が無数に設置された。
「――撃て」
ライルの静かな号令と共に、それは始まった。
一列目が撃ち、しゃがみ、後方へ下がる。二列目が進み出て、撃つ。三列目、四列目……。それは、ただ、冷徹なシステムだった。絶え間なく続く轟音と、寸分の隙も無く敵を制圧し続ける、弾丸の壁。
我は、その光景に、血の気が引くのを感じた。これは、戦争ではない。一方的な、殺戮の工程だ。騎士の誇りも、個人の武勇も、この前では何の意味もなさない。
やがて、射撃が止んだ時、標的であった鉄の鎧たちは、原型を留めず、ただの鉄くずとなって転がっていた。
「……ライル。その『銃』を、朕に渡せ」
我は、声が震えるのを必死でこらえながら言った。
「え~タダはやだよぉ~」
この期に及んで、この男は駄々をこねる。我は、懐から金貨の袋を取り出した。
「金なら、いくらでもくれてやる」
「ううん、いらない。商業都市国家連合から、いつもお金が入ってくるから、もう十分なんだ」
金が、通じぬ。新しい作物も、今すぐ渡せるものはない。ならば、これしかない。
「……なあ、ライル。お前、選帝侯にならんか?」
帝国の次代の皇帝を選ぶ、七人の特権階級。その一席を、くれてやる。破格の条件だ。
「う~ん、よくわからないけど、いいよ!」
あっさりと、承諾しおった。こいつは、本当にその価値を理解しているのか?
「あっ、そうだ! 最近農地が足りないんだ! 隣町のスースも欲しいなぁ……皇帝の直轄領だよね!」
「くっ、仕方ない! スースもつけよう! 元は北方の地だ。そちらが領有権を主張するのは分かる! ここは譲ろう」
選帝侯の地位と、一介の街を、天秤にかけるだと? やはり、こいつは何もわかっておらん。
だが、それでいい。この『ヴィンターグリュン・ローテーション』という名の脅威は、何としても手に入れねばならん。
我は、数丁の銃という、帝国の未来を左右しかねない『収穫』を手に、急いで帝都へと戻っていった。
ライル・フォン・ハーグ。あの男は、幸運の女神に愛されたただの道化か。それとも、全てを計算し尽くした、恐るべき怪物か。
いずれにせよ、もはや、あの辺境の王から、目が離せなくなっていた。
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