第35話 皇帝介入
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴159年 7月10日 昼 晴れ』
夏のヴィンターグリュンは、穏やかだった。息子のレオはすくすくと育ち、最近では「あー」とか「うー」とか、意味のない声を上げては、アシュレイと僕を笑顔にさせてくれる。畑ではゲオルグさんたちが新しい農法を試していて、西の都市フィオラヴァンテからは、ビアンカが驚くような利益を国にもたらしてくれていた。
(ああ、平和だなあ……。王様っていうのも、悪くないかも)
そんな、のんびりとした午後を過ごしていた僕のもとに、帝都からの使者が訪れたのは、本当に突然のことだった。届けられたのは、ユリアン皇帝陛下直々のご召喚状。有無を言わさぬ、絶対の命令だった。
「このタイミングで、ですか……」
ヴァレリアが、難しい顔で呟く。ユーディルも、ローブの奥で目を細めていた。どうやら、僕が思っているよりも、厄介な話であることは間違いないらしい。
数週間後。僕は、ヴァレリアとユーディルを伴い、三度、帝都フェルグラントの玉座の間へと通された。そこには、いつになく厳粛な表情を浮かべた皇帝陛下と、帝国の重鎮たちがずらりと並んでいた。そして、その隅には、商業都市国家連合の代表者たちの姿もあった。
僕が玉座の前にひざまずくと、皇帝陛下は、威厳に満ちた声で高らかに宣言した。
「辺境伯にしてヴィンターグリュン王、ライル・フォン・ハーグ。其方が商業都市国家連合との戦に勝利し、西の交易都市フィオラヴァンテを支配下に置いた件、聞き及んでいる」
皇帝は、一度言葉を切ると、続けた。
「其方の自衛の権利は認める。しかし、帝国の法は、諸侯間の私的な領土の奪い合いを禁じている。よって、フィオラヴァンテを、その正当なる所有者である商業都市国家連合に、速やかに返還することを、帝国皇帝の名において命ずる」
僕は、その言葉に、思わず顔を上げた。返還? どうして? 納得がいかない。
僕は、周りの貴族たちが息をのむのも構わず、いつもの調子でごね始めた。
「ええーっ、やだよ! だって~、先に攻めてきたのは向こうだしぃ~、僕の村は焼かれたし、たくさんの兵隊さんにご飯を食べさせて、お給金も払って、すごくお金も食べ物もかかってるんだから! それを、ただで返せなんて、ひどいよぉ~!」
僕の子供じみた言い分に、玉座の間が、しんと静まり返る。ヴァレリアが、背後で深いため息をつくのが聞こえた。
すると、厳粛な顔をしていた皇帝陛下が、急にふっと表情を緩め、仕方ないなという顔で言った。
「……わかった、わかった。もうよい、下がれ。ライル、お前だけ残れ」
二人きりになると、皇帝陛下は玉座から降りてきて、呆れたように笑った。
「まったく、お前というやつは……。朕の気も知らんで、あのような場所でごねるでないわ。だが、まあ、お前の言い分もわからんでもない」
そう言うと、彼は侍従に合図をした。やがて、運ばれてきたのは、ビロードの布が敷かれた箱。その中には、真っ赤に熟れた、艶やかな光を放つ、見たこともない果実が鎮座していた。
「これは、商業都市国家連合が、遥か西の新大陸から命懸けで持ち帰った作物……『トマト』という。これをやろう」
「とまと?」
「そうだ。生で食べてもよし、煮込んでソースにすれば、肉料理やパンとの相性も抜群だ。何より、お前の国の、少し涼しいくらいの気候を好む。フィオラヴァンテの統治権は連合に返すが、連合からは毎年、お前の国に多額の感謝金を支払わせる。その上で、このトマトの種子と栽培法を、全てお前にくれてやる。……これで、手を打て。どうだ?」
僕は、目の前の真っ赤な宝石のような果実に、完全に心を奪われていた。
「ほんと!? やったあ! ありがとう、陛下!」
僕が満面の笑みで答えると、皇帝は満足げに頷いた。
その夜に開かれた晩餐会は、和やかな雰囲気で進んだ。そして、メインとして出された肉料理を口にした瞬間、僕は再び衝撃を受けた。
「な、何だこれ!? ピリッとして、辛い! でも、すごく美味しい!」
「ほう、気に入ったか。それは『トウガラシ』という香辛料だ」
「陛下! これも欲しい!」
僕が前のめりになって頼むと、皇帝は首を横に振った。
「残念だが、トウガラシは暖かい土地でしか育たん。お前の国では無理だ。だが……そうだな。南部の諸侯に栽培させ、お前の国へ優先的に輸出するよう、朕が手配してやろう。それで、我慢せよ」
こうして、僕はフィオラヴァンテの直接統治を手放す代わりに、賠償金と、トマトという新しい作物、そしてトウガラシの独占的な交易ルートを手に入れた。
(やったあ! これで、またゲオルグさんやみんなが喜んでくれるぞ!)
帝都からの帰り道、僕は馬車の中で、新しい作物のことで頭がいっぱいだった。政治の難しい駆け引きなんて、僕にはよくわからない。でも、みんなの笑顔が増えるなら、それが一番だ。僕の王様としての仕事は、いつだって、それだけだった。
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