第341話 ハーグと仲良くすると、こんなものが買えるよ~!
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴180年 4月12日 クラスノグラード 広場 晴れ』
この日のクラスノグラードは、珍しく雲ひとつない快晴だった。
だが、僕たちの交渉はどんよりとした曇り空のままだ。
「だめですわ、今日もイヴァン皇帝は会ってくださいません。『体調が優れない』の一点張りです」
ホテルに戻ってきたヴァレリアが、憤慨した様子で報告する。
これで三日連続の門前払いだ。
「ライル陛下、いかがいたしましょうか? このまま待ち続けても、兵糧攻めに合うだけかと」
グレン・オルデンブルク公が、困り果てた顔で僕を見る。
確かに、向こうは僕たちが痺れを切らして帰るのを待っているのだろう。
だが、手ぶらで帰るわけにはいかない。
「うーん、そうだなぁ……」
僕は窓の外、市場を行き交う人々を眺め、ポンと手を叩いた。
「よーし、上の説得がダメなら、国民から説得してみよう!」
こうして、僕たちは強引に市の許可(という名目の事後承諾)を取り付け、クラスノグラードの中央広場の一角を借り切った。
そこに並べたのは、レオ自動車製の大型トラックの荷台を改造した特設ステージだ。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 西の国ハーグから来た、魔法のような品々だよ!」
僕が拡声器片手に呼び込むと、物珍しさから黒山の人だかりができた。
「まずはこれだ! 温めるだけで極上の味! 『ハーグ特製ビーフカレー缶』の試食会だ!」
プシュッ、と缶を開け、大鍋で湯煎したカレーを、小さな皿に盛ったご飯にかけて振る舞う。
辺り一面に、クミンやコリアンダーのスパイシーな香りが漂うと、ルースキアの人々の鼻がひくついた。
「なんだ、この匂いは……?」
「食ってみろ! ……う、うまい!? 体がカッと熱くなるぞ!」
「肉がゴロゴロ入ってる! こんな贅沢な煮込み、見たことねえ!」
北国の味付けは塩味が中心だ。スパイスをふんだんに使ったカレーの刺激は、彼らにとって未知の体験だったろう。
「お父さん方にはこちら! 琥珀色の宝石、『ハーグ・バーボン』だ!」
小さなカップに注がれた褐色の液体。
一人の男が恐る恐る口にし、カッと目を見開いた。
「ぐあっ! ……効くぅ! 喉が焼けるようだが、腹の底から温まる!」
「ウォッカより香り高いぞ! なんだこれは、樽の木の香りがする!」
さらに、ヴァレリアとグレン公も売り場に立つ。
「奥様方にはこちら! 肌が若返る『保湿クリーム』と、お湯が沸くと音が出る『ケトル』はいかが?」
「子供たちには『チョコレート』があるぞ! 甘くて苦い、大人の味だ!」
広場は瞬く間に熱狂の渦に包まれた。
最初は警戒していた人々も、ハーグ製品の圧倒的な品質と、僕たちの安価な提供価格に理性を吹き飛ばされたようだ。
そして夕方には、トラック三台分の物資がすべて売り切れていた。
「おい、もうねえのか!?」
「俺はまだカレーを食ってねえぞ!」
「どうか、また売ってくだせえ!」
民衆が口々に叫ぶ。
僕はトラックの荷台の上に立ち、満面の笑みで手を広げた。
「心配しなくても、もう次の便をハーグから運ばせているよ! ハーグと仲良くすると、いつもこんな物が買えるんだよ!」
僕の言葉に、広場がどよめいた。
「ハーグと……仲良く?」
「そうだ! 戦争なんかしてる場合じゃねえ!」
「ハーグ! ハーグ! よーし、もっと稼いで、次はカレーを腹一杯食うだ!」
誰からともなくハーグコールが巻き起こる。
胃袋と生活必需品を掴まれた民衆は、もはや僕たちの味方だった。
だが、その熱狂の様子を、広場の隅にある建物の陰から、冷ややかな目で見つめる男がいた。
軍服の襟を立て、階級章を隠した、長身の男だ。
僕の背後に、ぬっと影が音もなく湧き上がった。
いつもの、ユーディルだ。
「……ライル様」
ユーディルが、周囲を気遣いながら、極小の声で僕にささやく。
「何者かに見られております。……かなりの手練れ、おそらく軍の上層部かと」
「わかっている」
僕は笑顔で民衆に手を振りながら、口元だけで答えた。
「こっちは客捌きで忙しいから、そっちは任せたよ」
「はっ!」
ユーディルの気配が消える。影の仕事は影に任せるのが一番だ。
日が落ち、僕たちは撤収作業を終えてホテルへと戻ることとなった。
迎えに来た装甲車に乗り込む際、ヴァレリアがふと足を止めた。
「ばいばーい! おねえちゃん!」
チョコを口の周りにつけた小さい男の子が、名残惜しそうに手を振っていたのだ。
ヴァレリアは、ふわりと慈愛に満ちた微笑みを返した。
「ええ、またね。……美味しいものを、たくさん食べましょうね」
彼女は小さく手を振り返し、重厚な鉄の扉の中へと姿を消した。
装甲車が動き出す。
クラスノグラードの空は、西へ沈む夕日で血のような赤に染まっていた。
その色が、これからの吉兆なのか、それとも凶兆なのか、今の段階では誰にも分からなかった。
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