第340話 春の泥道と、開かない扉
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴180年 4月10日 ルースキア帝国 首都近郊』
長く厳しい冬が終わり、ようやく北の大地にも春が訪れていた。
しかし、雪解けの季節というのは、旅人にとっては悪夢のような時期でもある。
地面は溶け出した雪と土が混ざり合い、底なしの泥沼と化すからだ。
そんな悪路を、我がアヴァロン帝国の一団は力強く進んでいた。
「すごいな、この『無限軌道車』ってやつは。泥の上を滑るように走るじゃないか」
僕が感心して窓の外を眺める。
僕たちが乗っているのは、レオ自動車が開発した新型車両だ。タイヤの代わりに履帯を巻いたこの車は、馬車なら一歩も動けなくなるような泥道でも、グイグイと進んでいく。
結局、ルースキアへの訪問は、冬の間は物理的に不可能ということで、春を待っての出発となった。
メンバーは、僕ことライル皇帝と、政治の要であるグレン・オルデンブルク公。そして、護衛兼パートナーとして、ヴァレリアが同乗している。
出発の際、フェリクスは最後まで僕を止めようとした。
『父上! やはり危険です! 相手はあの大国ルースキアですよ!?』
そんな息子に、僕はあえて厳しい顔で命じたのだ。
『フェリクス。お前は精鋭師団を率いて、国境に待機しておいてほしい』
『なっ……!? 国境に、ですか?』
『ああ。僕たちが交渉している間、いつでも動けるようにな』
その言葉の意味を、フェリクスは瞬時に悟ったようだった。
もし、僕たちに使節団としての礼を欠いた扱いをしたり、危害を加えたりすればどうなるか。
国境には、「怒れる最強の皇子」と「最新鋭の機械化部隊」が控えているのだ。これ以上の圧力はない。
『……ハッ! 承知いたしました! 父上の背中は、私が守ります!』
フェリクスの敬礼を思い出しながら、僕は車内でクスクスと笑った。
「まあ、僕たちになにかあったら、怒り狂ったフェリクスが攻め込むさ。それがわかっていれば、向こうも下手な真似はできないよ」
僕がそう言うと、向かいの席で紅茶を飲んでいたヴァレリアが、呆れたようにため息をついた。
「あなたったら、ホント嫌な性格ですよね。自分の息子を、外交の『脅し』に使うなんて」
「そう? 悪知恵がついただけだよ。それに、フェリクスだって頼られるのは満更でもないはずさ」
「はいはい。……でも、油断は禁物ですよ。ここは敵地のようなものですから」
ヴァレリアは腰に帯びた剣の位置を確認し、鋭い眼光を窓の外へ向けた。
やがて、泥道の先に、灰色の城壁が見えてきた。
ルースキア帝国の首都、クラスノグラードだ。
歴史ある石造りの街並みは重厚で、そこかしこに煙突から煙が立ち上っている。そこそこにぎわっているようだが、ハーグのような華やかさはなく、どこか張り詰めた空気が漂っていた。
「……到着しましたな」
同乗していたグレン公が、緊張した面持ちで襟を正す。
僕たちは市内の見物は後回しにして、そのまま皇宮へと向かった。
まずは挨拶だ。ルースキア皇帝、イヴァン君に会って、手土産のトラックとラーメンを渡さなければならない。
案内されたのは、やたらと天井が高い、冷え冷えとした謁見の間だった。
しかし、玉座は空だった。
代わりに現れたのは、細身で神経質そうな男。ルースキアの宰相、ヴィクトルだ。
彼は氷のような冷たい瞳で僕たちを見下ろし、抑揚のない声で言い放った。
「遠路はるばるご苦労。……だが、皇帝陛下は病で伏せっておられる」
「……えっ?」
「よって、会談は延期だ。回復されるまで、宿舎にて待機されたし」
取り付く島もないとは、まさにこのことだ。
「えっええええええ~っ!」
僕の素っ頓狂な叫び声が、広い謁見の間にむなしく響き渡った。
ここまで来て、まさかの門前払い。
どうやらルースキア側は、徹底した遅滞戦術で僕たちの心を折るつもりらしい。
(やれやれ……。一筋縄ではいかないなぁ)
僕は頭を抱えながら、早くも前途多難な旅の始まりを予感していた。
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