第3話 辺境伯と廃墟の街
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴156年 7月14日 午後 快晴』
帝都フェルグラントの壮麗な門を後にしてから、一週間。揺れる馬車の中で、僕はこれから始まるであろう領主としての生活に、期待よりも大きな不安を抱いていた。そして、その不安は現実のものとなる。
僕とヴァレリアが、新たな領地ハーグの街の外門をくぐった瞬間、僕は言葉を失った。
「……これが、僕の街……?」
目の前に広がっていたのは、打ち捨てられた荷車、煉瓦の崩れた塀、そして乾いた噴水の残骸。街道の石畳は雑草に覆われ、建物の窓は割れ、吹き抜ける風が不気味な音を立てていた。
「……ええ、事前の報告と相違ありません。兵も役人も、全て撤退済み。住民の大半は避難しており、残っているのは……」
ヴァレリアが冷静に懐の書類と目の前の光景を照らし合わせながら、言葉を継ぐ。
「おそらく、飢えて逃げ遅れた者か、行き場のない者たちでしょう」
僕は呆然と街の中心へと歩を進めた。ひび割れた教会前の広場にたどり着いたとき、建物の陰から、おずおずと人々が現れた。服はぼろぼろで、その顔には深い疲労と不信の色が滲んでいる。全部で、十数人といったところか。
だが、彼らは僕の姿を認めると、その目にわずかな光を宿した。
「おお……『槍のライル』様か……」
「本当に……我々を見捨てずに、来てくださったんですね」
やせ細った老人や、子供を抱いた母親が、その場に膝をつき、静かに頭を垂れた。
(英雄……)
僕は、彼らにとってそういう存在らしい。だが、その実感はまったく湧いてこなかった。どうすればいいのかわからず、ただ戸惑って手を中途半端に振ることしかできなかった。
その日のうちに僕たちは、かろうじて屋根の残った旧役所に腰を落ち着けた。ヴァレリアは埃まみれの机を布で拭うと、すぐさま持ち込んだ帳簿を広げ、凄まじい速さで仕事に取り掛かる。
「領地経営とは、本来、数十人の専門知識を持った事務官によって支えられるものです。人手が、圧倒的に足りませんね」
「そうだよね……っていうか、僕たち以外に、誰もいないんだよね」
「はい。ですので――」
彼女は顔も上げず、さらりと言った。
「私がやります」
「……え? 副官が?」
「副官であり、参謀であり、この街の代理執政官でもありますので。これは良い機会です。ライル辺境伯にも、一通り覚えていただきましょう」
彼女の目が、鋭く僕を射抜く。
「……え、ええと、はい……」
僕はまた、ろくに理解もせぬまま頷いた。こうして、ヴァレリア教官による領地経営の講義が、強制的に始まったのだった。
その翌日、ヴァレリアは早速、帝都に向けて人材募集の使者を飛ばした。彼女が書いた書状の末尾に、なぜか『ライル辺境伯、個性豊かな才能を切に熱望す』と書き加えられていたことを、僕はまだ知らない。
そして、数日後。その書状に応じた者たちが、早速ハーグに現れた。
「おっす! 文官希望のアシュレイでっす! 文書作成も数字の計算もいけますけど、爆薬の調合も得意でっす! あ、あと趣味で占星術も少々!」
白衣に片眼鏡をかけた、どう見ても善良な学者には見えない女性が、元気いっぱいに自己紹介する。
続いて現れたのは、漆黒のローブに身を包んだ長身の男だった。
「……ユーディル。帝都を追われた元検察官だ。正義の名の下、この地に潜む裏切り者を炙り出す。君の背後は、俺が守ろう……」
「いや、まずは君の身元調査から始めさせてもらえないかな……」
さらに、なぜか土の匂いをさせた農業に異常に詳しいおじさんや、理由もなくただニコニコと無言で笑っている少女など、人材なのか問題児なのか判別しがたい者たちが、次々と僕の前に集まってきた。
「……ヴァレリア、副官として一応聞くけど。君、何を基準に人を選んだの?」
「面白そうかどうか、です」
「えっ」
「冗談です。表向きは、能力と秘めたる可能性を見ています」
「……表向きは、ってことは、本音の割合は?」
「面白さが六、能力が四、といったところでしょうか」
「ダメじゃん!」
気がつけば、僕の周りには次々と風変わりな仲間が集まり始めていた。
瓦礫の街。頼れる兵もいない。有能な役人もいない。そして領主の僕自身、なにもわかっていない。
けれど……。
ここが、僕の領地だ。
この街の名を冠する辺境伯として、僕はこの地を背負っていくことになる。
(たぶん。なんとか。うん……)
空は高く、どこまでも澄み渡っていた。崩れかけた役所の塔の向こうに、未来のかけらのような一筋の雲が、ゆっくりと浮かんでいるのが見えた。
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