第276話 ライル、シトラリちゃんと再会する~ハーグ駅のホームにて~
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴178年 5月20日 昼 曇り』
今日の帝都ハーグの空は、分厚い雲に覆われていた。雨が降りそうで降らない、じっとりと肌にまとわりつくような、微妙な天気だ。太陽が隠れているせいか、街の活気も、どこか鈍く感じられる。
僕は、新しくなった皇宮の護衛役を任されているカールくんと、その部下の兵士数名と一緒に、ハーグ中央駅のホームに立っていた。
「そろそろですね、ライル様」
カールくんが、懐中時計を確認しながら、少しだけ緊張した声で言った。
「う~ん、どんな顔して会えばいいんだろ? 会えるのは、もちろん嬉しいんだけどね……」
電信で、アズトラン帝国で革命が起き、シトラリちゃんたちが首都を追われたことは知っていた。彼女が無事に逃げ延びてくれたことは心の底から安堵したが、同時に、遠い国で起きた悲劇の重さが、ずしりと胸にのしかかる。だからこそ、暖かく迎えてあげようと、そう決めていた。
やがて、西の港町フィオラヴァンテからの長距離列車が、蒸気を吐き出しながら、ゆっくりとホームへと滑り込んできた。
僕が、皇族用の貴族車両の前で待っていると、列車が完全に停止するよりも早く、勢いよく扉が開かれた。そして、その中から、見慣れた黒髪の影が、文字通り、飛び出してきた。
「ライル~っ、会いたかったのじゃ~っ!」
次の瞬間、僕は、懐かしい花の香りと、柔らかな感触に包まれていた。シトラリちゃんだ。彼女は、女帝としての威厳も何もかも忘れたように、僕の胸に顔をうずめ、ぎゅうっと強く抱きついてくる。その背中は、かすかに震えていた。
「はじめまして、ライル様とお見受けしました。息子のマクシミリアンです。母が、いつもお世話になっております」
シトラリちゃんの後ろから、一人の少年が、実に礼儀正しく、そう言って頭を下げた。年の頃は十歳くらいだろうか。母であるシトラリちゃんによく似た、意志の強そうな瞳をしている。
「あの、ソラヤだよ……」
その少年の服の裾を、小さな女の子が、きゅっと掴んでいた。僕とシトラリちゃんの娘、ソラヤ。赤子の時以来の再会だ。恥ずかしそうに、僕の顔をじっと見上げている。
僕は、シトラリちゃんの背中を優しくぽんぽんと叩いてなだめると、二人の子供たちの前に、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「はじめまして、マクシミリアンくん。僕が、ライルだよ。君の父さんなのに、今まで会いに行けなくて、本当にごめんね。ソラヤちゃんは、小さいころ以来だから、覚えてないかな? よく来てくれたね」
僕が、三人とそれぞれ、そっと握手を交わす。ようやく落ち着きを取り戻したシトラリちゃんが、僕の腕の中で、悔しそうに顔を上げた。
「ライル~、あの、革命軍とかいう愚か者どもを、倒してほしいのじゃ! あやつら、妾が見た限り、ただ血に酔っているだけでの! 民を扇動し、神官たちを虐殺しておった! 許せぬ!」
その瞳には、再び、女帝としての怒りの炎が宿っている。僕は、静かに、彼女の言葉を受け止めた。
「うん、そうだね。なんというか、市民が政治に参加するっていうのは、決して悪いことじゃないと思うんだ。実際、このハーグでは、それでうまくいってる部分もたくさんある。でも、血を流すのは、違うと思うんだよなぁ……」
僕がそう言うと、横で聞いていたマクシミリアンくんと、ソラヤちゃんが、こくこくと、小さな頭で頷いていた。
僕は、立ち上がると、三人の顔を見回して、いつもの調子で、にこりと笑った。
「みんなどうする? 長旅で疲れただろうし、白亜の館に帰って、おやつでも食べるかい? ハーグ黒豚の丸焼きも、もうすぐできる頃だと思うよ。それとも……すぐリアン皇帝に声をかけて、皇宮で、御前会議でも開くかい?」
僕の、あまりに気軽な提案に、マクシミリアンくんが、ぽかんとした顔で僕を見た。
「まるで、近所に遊びにいくかのような、気軽さで話されますね……」
「おとうさんって、えらいの?」
ソラヤちゃんが、不思議そうに首を傾げる。僕は、ははっ、と笑いながら頭を掻いた。
「そんなことないと思うけどなぁ。お父さんは心の中では、いつでも、ハーグの畑を耕しているつもりさ」
その答えに、シトラリちゃんが、ふんと鼻を鳴らした。
「妾だけでも、すぐにその会議とやらへ参加できぬか? 話は、一刻も早い方がよい。……マクシミリアンは、ソラヤを連れて、その、美味しいものでもご馳走になるのじゃ」
「母上、分かりました。いくよ、ソラヤ」
「うん、兄上」
こうして、僕たちは二手に分かれることになった。
マクシミリアンくんとソラヤちゃんには、護衛と案内のために、カールくんをつけて、白亜の館へと向かわせる。
僕は、シトラリちゃんを伴って、ハーグの皇宮へと、足を向けた。
空の分厚い雲は、まだ、晴れる様子はなかった。
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