第273話 フェリクス、看病される ~乙女(?)の祈り~
【フェリクス視点】
『アヴァロン帝国歴178年 4月15日 朝 晴れ』
鳥のさえずる声で、僕は目を覚ました。
窓から差し込む朝の日差しが、部屋を明るく照らしている。あれほど重かった体は、嘘のように軽く、熱もすっかり引いているようだった。
僕は、ゆっくりとベッドから身を起こす。
(……夢、じゃなかったよな)
昨夜の、あの柔らかな感触。そして、ザイン殿が女性だったという、衝撃の事実。
僕が、ぼんやりと昨日の出来事を反芻していると、部屋の扉が、静かに開かれた。
「……! フェリクス殿、お目覚めになられたか!」
そこに立っていたのは、紛れもなく、あの白い軍服に身を包んだ、ザイン殿だった。その美しい顔には、憔悴の色が浮かんでいたが、僕が目を開けたのを見て、心の底から安堵したように、その表情を緩めた。
(彼は……彼女なのだろうか?)
ザイン殿はベッドのそばまで来ると、少しだけ気まずそうに、視線をそらした。
(やっぱり、昨日のこと、気づいてるのかな……)
僕も、どう切り出していいかわからず、とりあえず、当たり障りのない挨拶をすることにした。
「あ、あの、ありがとう、ザイン殿。一晩中、看病してくれたんだろう?」
「いや……。貴殿が倒れられたのは、私の監督不行き届きゆえ。当然のことをしたまでだ」
その声は、いつもの凛とした司令官のものだった。もしかして、昨日の『むにゅっ』は、熱にうなされた僕が見た、ただの幻だったのだろうか。
(いや、でも、あの感触は、あまりに、あまりにリアルだった……)
僕が、一人でぐるぐると悩んでいると、ザイン殿は、思いがけないことを口にした。
「……フェリクス殿。もし、よろしければだが……。貴殿が完全に回復なされるまで、今少し、この砦に、滞在していただけないだろうか」
「え?」
「貴殿から教わった、あの『塹壕』と『射撃術』。我が軍でも、本格的に導入を試みてはいるのだが……。やはり、実戦を知る貴殿の目で、直接、指導をいただけると、兵たちの士気も、格段に違ってくる」
その、あまりに真剣な眼差し。
僕は、その申し出を、断る理由など、持っていなかった。
「……わかった。僕でよければ、喜んで。完治したら、すぐにでも、訓練に復帰するよ」
「本当か! かたじけない、フェリクス殿!」
僕の言葉に、ザイン殿は、ぱあっと、顔を輝かせた。その笑顔は、屈強な軍人というよりは、まるで、褒められた少女のように、無邪気で、可愛らしかった。
(……うん。やっぱり、間違いない)
僕は、その笑顔を見て、確信した。
この人は、女性だ。
でも、彼女は、その事実を隠し、司令官『ザイン』として、この国を守ろうと、必死に戦っているんだ。
(だったら、僕が、それを暴く権利はない)
僕は、何も気づかなかったふりをすることにした。
その時、部屋の外から、祈りの歌のような、荘厳で、美しい声が聞こえてきた。
「なんだろう、この歌?」
「ああ、あれは……」
ザイン殿は、窓の外……港の方角を見つめ、少しだけ、誇らしげに、言った。
「あれは、『乙女の祈り』だ。このラス・バハールの港を守る、海の女神様への、感謝の歌だよ」
彼は、まるで、遠い昔を懐かしむかのように、目を細めた。
「この港の女たちは、皆、気が強くてね。男たちが漁に出ている間、自分たちの手で、この港を守ってきたんだ。あの歌は、彼女たちの、誇りの歌でもある」
その横顔は、僕が知るどんな男性よりも、凛々しく、そして、どんな女性よりも、美しかった。
僕は、その横顔を、ただ、じっと見つめていた。
この、複雑で、魅力的な人物と、そして、この国と、僕は、これから、どう関わっていくことになるのだろうか。
そんな、まだ見ぬ未来への、不思議な予感が、僕の胸を、静かに、満たしていった。
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