第271話 ゼナラ革命軍、焦る
【市民革命軍司令官 ラシード視点】
『アヴァロン帝国歴178年 4月7日 昼 雨』
首都サファリダの空は、泣いていた。
この数日間、革命という名の熱病に浮かされ、流され続けたおびただしい血を、洗い流そうとするかのように、冷たい雨がしとしとと降り続いている。王宮の広場で燃え盛っていた処刑台の炎も、ようやくその勢いを弱めていた。
長きにわたった血の粛清が、ようやくひと段落ついたのだ。
わたくしは、占拠した王宮の執務室から、雨に煙る灰色の街並みを、重い心で見下ろしていた。
(これで……本当に良かったのだろうか)
革命は成った。だが、その代償として失われた命は、あまりに多い。わたくしたちが目指した『市民による、市民のための新しい国』とは、このような血塗られた光景の先にあるものだったのか。
そんなわたくしの迷いを打ち破るように、背後で、重厚な扉が静かに開かれた。
「司令官。……あまり、良い報せではございませんな」
入室してきたのは、わたくしの参謀役である老学者、イブラヒム。その手には、濡れた羊皮紙が握られている。彼が率いる情報班が、ヴィンターグリュン艦隊の電信を傍受し、その解読に成功したのだ。わたくしがハーグから取り寄せさせた、あの最新式の電信機が、皮肉にも、そのハーグの動きを暴き立てていた。
「ヴィンターグリュン艦隊は、ラス・バハールに入港した、と。それも、王国軍の歓迎を受けて、な」
「むむっ!」
イブラヒムの静かな、しかし、重い報告に、わたくしは思わず拳を握りしめた。
「ヴィンターグリュンは、あの腐敗した王国軍についたというのか!? まずい、まずいぞ! 彼らの軍事力は、噂によれば我が国の比ではない。南から攻め上がられれば、我らは……! どうする、イブラヒム!」
焦りが、胸の奥からこみ上げてくる。わたくしがハーグの議会へ送った、あの、魂からのラブコールは、結局、届かなかったというのか。
だが、イブラヒムは、動じなかった。彼は、テーブルの上に広げられた世界地図を、その老練な瞳で静かに見つめている。
「こうなったら、計画を早めるしかありますまい」
「計画? ……まさか、あれか!? 『世界へ革命を広げる』という、あの、あまりに壮大すぎる……」
「左様」
イブラヒムは、ゆっくりと頷いた。
「このゼナラ一国で、ヴィンターグリュンという巨大な敵と渡り合うのは、無謀。じゃが、敵の足元が、我らと同じ炎で燃え上がっておれば、話は別。……わたくしは、これより、新大陸のアズトラン帝国へ向かいます」
彼の指が、海の向こうの、巨大な大陸を指し示す。
「かの国は、ヴィンターグリュンと強いつながりを持つ。だが、その支配体制は、古き神官たちによる圧政。必ずや、不満の火種が燻っておるはず。革命が成功すれば、ヴィンターグリュンの力を、大きく削ぐことができますぞ」
「では、ヴィンターグリュン本国へは、誰が向かう? かの本丸で革命が成功すれば、この戦、だいたいの問題にカタがつく」
わたくしの問いに、これまで黙って地図を睨みつけていた、血気盛んな若者、カリームが、不敵な笑みを浮かべて前に進み出た。
「へっ、俺が行こうじゃないの? 要は、向こうの民衆どもを、扇動すりゃあいいんだろ? 得意分野だぜ」
「ふむ」
イブラヒムが、その若き傭兵の顔を見据える。
「それでは、かの国には、『新聞』や『ラジオ』なる、民を動かすための、便利なメディアがあると聞く。それを有効に活用すれば良いじゃろう。計画書は、すでに、ここに出来ておる」
彼は、懐から分厚い羊皮紙の束を取り出し、カリームへと手渡した。
「へへっ、さすがは参謀様だ。手回しがいいじゃねえの」
カリームは、その計画書をひったくるように受け取ると、自信満々に笑った。
わたくしは、残された最後の懸念を口にした。
「では、南のラス・バハールはどうする? ヴィンターグリュン艦隊が居座るあの地を、このまま放置するわけにもいくまい?」
「リーダー、難しく考えすぎだって」
カリームが、腰の銃を叩きながら、乱暴に言った。
「こっちは数で勝ってんだ。ウダウダ言ってねえで、さっさと攻撃すりゃあ、いいんじゃねえの?」
「フム……。単純じゃが、この期に及んでは、それも仕方あるまいのう。時を稼がれては、厄介になる」
イブラヒムも、渋々といった様子で、その強硬策に同意した。
わたくしは、決断した。
「……分かった。それならば、ラス・バハールへの攻撃は、わたくし自らが、指揮を執る。イブラヒム、カリーム、お主らは、それぞれの任地へ。皆、ただちに行動を開始してくれ!」
「「はっ!」」
二人が、足早に部屋を出ていく。
一人残された執務室に、雨の音だけが、戻ってきた。窓の外を見やれば、雨が上がり、広場では、兵士たちが、粛清された貴族たちの遺体を、焼却処分し始めているのが見えた。衛生的に、これ以上放置するわけにはいかなかったのだろう。風向きが変わり、肉の焼ける、あの忌まわしい臭いが、執務室にまで、漂ってくる。
(……これで、よかったのか)
わたくしの心は、晴れなかった。
憧れであった、ハーグの市民議会。わたくしたちの、あの必死のラブコールは、結局、彼らに、無視された。いや、それどころか、彼らは、わたくしたちが打倒しようとした、腐敗した王族の側に、ついたのだ。
その事実が、わたくしの心のどこかに、冷たい棘のように、チクリと、刺さっていた。
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