第263話 ゼナラ王国軍もハーグへ救援を求める
【王国軍司令官 ザイン視点】
『アヴァロン帝国歴178年 3月10日 昼 晴れ』
南部の港湾都市ラス・バハールの臨時司令部は、潮の香りと、焦げ付くような焦燥感に満ちていた。窓の外には、どこまでも続く青い海が広がっている。だが、私の心は、首都サファリダを覆う黒い雲のように、晴れることがない。
数日前、私たちゼナラ王国は、ラシードと名乗る男が率いる市民革命軍によって、首都を奪われた。王宮は占拠され、街は無法地帯と化しているという。幸いにも、国王陛下とその御一族は、私ザインが率いる近衛騎士団の手によって、間一髪、このラス・バハールへと脱出することができた。しかし、それは、屈辱的な敗走に他ならなかった。
(このまま、終わらせるわけにはいかない……!)
私は、磨き上げたサーベルの柄を、白く細い指で強く握りしめた。軍服に身を包んでいても隠しきれない、柳のようなしなやかな体躯。短く切りそろえられた黒髪の下の、陶器のように滑らかな肌と、切れ長の大きな瞳。誰もが息をのむほどの中性的な美貌と、それゆえに人を惹きつけずにはおかない圧倒的なカリスマ。それが、崩壊寸前のこの王国を繋ぎ止める、最後の砦だった。私がいなければ、王国軍はとうに瓦解し、陛下方も、暴徒の手に落ちていただろう。男として振る舞うことの重圧を感じながらも、今はただ前を見据えるしかなかった。
だが、今の革命軍には、民衆の熱狂という、無視できない勢いがある。首都奪還は、容易ではない。
私は、傍らに控える、白髪の老練な参謀、ハサンへと、その涼やかな視線を向けた。
「ハサン。首都を奪還したいが、今の反乱軍には勢いがある。どうすれば良いと思う?」
私の問いに、ハサンは、しばらく黙って地図を見つめていたが、やがて、重い口を開いた。
「……司令官閣下。あまり、やりたくはありませんが、この際、外国の力を借りるのも、一つの手かと存じます」
「外国だと?」
「はい。特に、あのアヴァロン大陸の北方に位置する、ヴィンターグリュン王国。かの国の軍事力と戦術は、今や、世界最高クラスとの評判です。かの国の力を借りれば、首都奪還も、決して不可能ではないでしょう」
ヴィンターグリュン王国。ライル・フォン・ハーグ。あの、マルコとかいう探検家提督を送り込み、我が国の艦隊を一方的に打ち破り、港を破壊し、島まで奪い去っていった、忌々しい国の名だ。
「確かに、かの国は我らゼナラより強い。それは認めよう。しかし、ハサン。虎を招き入れて、狼を追い払うような真似をして良いのか? 今は島を一個割譲しているだけで済んでいるが、さらなる見返りを要求してくるかもしれないぞ?」
外国の力に頼る。その危険性は、火を見るより明らかだった。首都を奪還できたとしても、その代償として、国そのものを売り渡すことになっては、元も子もない。戦後を見据えた、慎重な判断が必要だった。
「……ですが司令官閣下、首都を奪還しなければ、この国の未来はありません。革命軍もまた、ハーグに使者を送ったとの情報もございます。先を越されては、我らの立場が危うくなる。ここは、まず交渉だけでも、試みてはいかがでしょうか? 同じ『王族』として、救援を求めるという形であれば、あるいは……」
「……それも、そうか」
ハサンの言葉には、一理ある。時間は、私たちの味方ではない。
私は、決断した。
「よし、ならばハーグへ、国王陛下の名において、『同じ王族として、秩序回復のための救援を求む』と、電信を打て。あとハーグの議会とやらにもだ!」
「はっ!」
ハサンは、深く一礼すると、足早に部屋を出ていった。
一人残された司令部で、私は、再び窓の外の青い海を見つめた。その穏やかな海の向こうに、未知なる強大な国の影が、ゆらめいて見えるような気がした。
(ライル・フォン・ハーグ……。あなたは、このゼナラの、救世主となるか。それとも、新たな支配者となるか……)
こうして、私たちゼナラ王国軍もまた、それぞれの思惑を胸に、遠い北の都ハーグへと、救いを求めるラブコールを送ることとなったのだ。帝国の運命の天秤が、今、大きく揺れ動こうとしていた。
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