第249話 リアンの悩み、ライルの救い(まあ、いつもと変わらないんだけどね)
【リアン皇帝視点】
『アヴァロン帝国歴178年 2月15日 夜 静かな雪』
自室に戻っても、手の震えが、止まらなかった。
テーブルの上に置かれた、護身用のピストル。その、冷たい鉄の塊が、やけに重く見える。この手で、引き金を引いた。この手で、人の命を、奪った。
ディートリヒが崩れ落ちる、あの瞬間。驚愕に見開かれた、彼の瞳。鼻をつく、硝煙の匂い。その全てが、脳裏に焼き付いて、離れない。
(余は……人を、殺した……)
皇帝として、やらねばならぬことだった。そう、頭ではわかっている。だが、心が、体が、その事実を、拒絶している。
わなわなと震える体を、どうすることもできずに、ただ、椅子に深く沈み込んでいた、その時だった。
コン、コン……。
控えめなノックの音と共に、扉が、そっと開かれた。
「リアン様……。お加減が、優れないと、伺いましたので」
そこに立っていたのは、婚約者である、カタリナだった。彼女は、豪華なドレスではなく、素朴なワンピースに身を包み、心配そうな瞳で、こちらを見つめている。
「……カタリナ」
その、あまりに穏やかで、温かい眼差しを見た瞬間。必死で保っていた、皇帝としての仮面が、音を立てて崩れ落ちた。
余は、救いを求めるように、彼女の元へと駆け寄ると、その華奢な体を、子供のように、強く、強く、抱きしめていた。彼女もまた、何も言わずに、その全てを、受け止めるように、余の背中を、優しく、撫でてくれた。
翌朝。
オルデンブルク宰相が、執務室へとやってきた。その顔には、いつものように、深い皺が刻まれていたが、その目の奥には、どこか、からかうような光が宿っている。
「陛下。昨夜は、カタリナ様が、おそばで、よくお励ましになられたご様子。なによりでございますな」
「……皮肉を言うな、オルデンブルク」
余の、棘のある言葉にも、宰相は動じなかった。ただ、静かに、深く、頭を垂れる。
余は、窓の外でしんしんと降り積もる雪を眺めながら、静かに、問いかけた。
「オルデンブルク。余が、怖いか?」
「はい、おそろしゅうございます。しかし、それで良いのでございます。陛下は、皇帝なのですから」
その、あまりに静かで、あまりに確かな言葉。
余は、何も言い返せなかった。ただ、黙って外の雪を眺め、ライルさんを呼ぶように、とだけ、指示をした。
しばらくして、執務室の扉が、何の遠慮もなく、勢いよく開かれた。
やってきたライルさんは、いつもの、実に、いつもと変わらない、気の抜けた笑顔を浮かべていた。
「やっほ~、リアンくん。なんか用? 何もなければ、闇バーいこうよ! プリンが美味しいらしいよ!」
その、あまりに普段通りの、太陽のような明るさ。
余は、思わず、問いかけそうになった。
「ライルさん、そなたは、余が……」
怖くないのか、と。昨日、人を殺した、この余が。
だが、その言葉は、口から出る前に、消えていった。
この人は、きっと、そんなこと、これっぽっちも気にしていない。この人は、いつだって、ただの『リアンくん』として、余を見てくれる。
その事実が、何よりも、余の心を、救ってくれた。
「……いや、何でもない。そうだな! 行くか!」
余の言葉に、ライルさんは「やったあ!」と、子供のように笑った。
余は、この男の、変わらない態度に、心の底から安堵しつつ、いつものようにお忍びの服に着替え、闇バーへと、向かうのだった。
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