第245話 エレオノーラの決断
【エレオノーラ視点】
『アヴァロン帝国歴178年 1月17日 昼 吹雪』
窓の外では、猛烈な吹雪が白亜の館を叩きつけておりました。ですが、館の中は暖炉の柔らかな炎と、皆の屈託のない笑い声に満たされ、まるで別世界のように穏やかです。
わたくし、エレオノーラ・フォン・ヴェネディクトは、メイド長として、館の隅々まで磨き上げられた床を静かに歩いておりました。この、秩序と平穏に満ちた日常。それが、今のわたくしの全てであり、誇りでした。
お給金をもらう事もでき、実家へ仕送りをしたところです。電信で、父は大変喜んでおりました。私はようやく自分の役目を果たせたと、安堵しました。
そんな静寂を破るように、一人の侍女が、小さな封蝋のついた手紙を手に、わたくしの元へ駆け寄ってきました。
「メイド長、あなた様に、急ぎの密書が……」
差し出された手紙に押された紋章を見た瞬間、わたくしの心臓が、氷の針で刺されたかのように、どきりと痛みました。ヴェネディクト家の、獅子の紋章。差出人は、わたくしの弟、ディートリヒからでした。
自室に戻り、震える手で封を切る。そこに記されていたのは、命令でした。
『姉上には、ライル・フォン・ハーグの動向を監視し、逐一、我らへ報告されたし』
手紙は確かに、弟が書いたであろう、力強い筆跡でした。
(……やはり)
弟は昔から野心家でした。ですが、この手紙は、彼の野心が、もはや抑えきれないことを、明確に示しておりました。
(ディートリヒ……あなた、一体何を企んでいるの……?)
わたくしは、手紙を握りしめ、部屋の中を何度も何度も歩き回りました。吹雪が、窓を激しく叩く音が、まるでわたくしの心の中の嵐のようです。
(どうすれば……どうすれば、よいというの……)
血を分けた弟。父上が失った、ヴェネディクト家の栄光を取り戻そうと、彼なりに必死にもがいている。その気持ちが、わからないわけではございません。この手紙を黙殺し、弟の暴挙に目をつぶるべきか。それが、姉として、ヴェネディクト家の娘としての、務めなのでしょうか。
(いいえ……違う……!)
わたくしの脳裏に、この館での日々が、走馬灯のように駆け巡ります。
初めてジャガイモの皮を剥いた日の、メイドたちの嘲笑。それでも、わたくしの管理能力を認め、メイド長という役目を与えてくれた、ライル様の、あの人の良い笑顔。そして、この館で元気に育つ、罪のない人たちの顔、顔、顔……。
ヴァレリア様、アシュレイ様、レオ様、フェリクス様、ノーラ様……。
ディートリヒが望むのは、おそらく復讐。その先にあるのは、また、この帝国を血で染める、新たな内乱に違いありません。
(わたくしは、もう、ごめんです。誰かの野心のために、この、ようやく手に入れた穏やかな日常が、壊されるのは……)
決断は、つきました。
わたくしは、手紙を固く握りしめると、まっすぐに、ライル様の執務室へと向かいました。
ライル様は、ラジオ番組のファンだという子供たちが描いた、動物の絵を、実に楽しそうに眺めておりました。わたくしは、その前に進み出ると、静かに、弟からの密書を差し出しました。
「ライル様。……ご報告、いたします」
わたくしから、事の経緯を聞いたライル様の顔から、いつもの気の抜けた笑顔が、すうっと消えていきました。
「えっ、ええええええ! また内乱になっちゃうじゃない! リアン皇帝とフェリクスに知らせないと~っ! あっ、あと、オルデンブルク宰相にも!」
ライル様の、情けないけれど、この国の平和を心から願う、魂からの絶叫が、吹雪の音にかき消されるように、執務室に響き渡りました。
こうして、事態は動き出したのでした。
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