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【書籍化作業中】投げたら刺さった~ラッキーヒットで領主になった僕の成り上がり英雄譚~  作者: 塩野さち


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第243話 復権の誓いと、琥珀色の蜘蛛

【ディートリヒ視点】


『アヴァロン帝国歴177年 12月24日 夜 冷たい雨』


 旧帝都フェルグラントの、今は寂れた貴族街。その一角にある、今は主を失った屋敷の地下室に、俺たちは集まっていた。

 湿った石壁に、カンテラの頼りない光が揺らめいている。テーブルを囲むのは、皆、先の戦で父上が敗れ、全てを失ったヴェネディクト家に、最後まで付き従った者たちだ。誇り高き騎士や文官の、哀れな成れの果てよ。


(……いつから、父上が、そして俺たちが築き上げてきた帝国は、こんなにも腑抜けた国になってしまったのだ)


 俺の名はディートリヒ・フォン・ヴェネディクト。先の戦で全てを失った、ヴェネディクト侯爵家の末の息子だ。

 俺は、グラスに注がれた安物の葡萄酒を、血を飲むように、苦々しく呷った。ラジオから流れるのは、農民上がりの娘が司会をする、下品な娯楽番組。全ては、あのライル・フォン・ハーグとかいう男が、この帝国に持ち込んだ、悪しき『自由』という名の病だ。


「ディートリヒ若様。残念ながら、お話になりませんでした」


 重い沈黙を破ったのは、年配の元参謀、コンラートだった。彼は、今しがた、蟄居しておられる父君の元から、戻ってきたところだった。


「侯爵閣下も、元皇帝ルキウス様も、もはや、戦う気力など、ひとかけらも残されてはおられませんでした。『静かに暮らせるだけで、もう十分だ』と……。完全に、心が折れてしまっておられるご様子」


 その報告に、若い騎士上がりのウルリヒが、テーブルを拳で叩いた。


「情けない! 大殿様は、牙を抜かれた獅子になってしまわれたというのか!」


 俺の心は、怒りよりも、深い悲しみと失望に満たされていた。


(父上……。あなたは、ヴェネディクト家の誇りまでも、あの田舎王に売り渡してしまわれたのですか)


 俺たちが、再起の旗印として仰ぐべき主君は、もういない。絶望が、冷たい霧のように、この地下室を支配しかけていた。

 その、重苦しい空気を、打ち破ったのは、コンラートの、静かだが、計算高い声だった。


「……ですが若様、道が、完全に閉ざされたわけではございません」


 彼は、一枚の古びた地図を、テーブルの上に広げた。


「最近、南の商人たちの間で、奇妙な噂が囁かれております。ランベール領の、さらに南。これまで未開の地とされてきた森の向こうに、『ノヴァラ』と名乗る、蛮族の王国がある、と」


 その言葉に、皆の視線が、地図の一点へと集まる。


「奴らは、帝国とは、一切の国交を持たぬ。独自の文化と、独自の神を信仰する、まさに化外の民。ですが、その土地には、手つかずの豊かな資源が眠っているやもしれませぬ」


 コンラートは、俺の顔を、まっすぐに見据えた。そして、悪魔のような囁きを、続けた。


「アヴァロン帝国と、正面から事を構えるのは、まだ時期尚早。じゃが……」


 彼の目が、ぬらり、と光る。


「アヴァロン帝国『以外』の者に、手出しするのは、良いのではないでしょうかな?」


 その一言が、俺の、燻っていた野心に、再び火をつけた。

 そうだ。ライルに奪われた栄光を、別の場所で、取り戻せばいい。


「面白い……! 面白いではないか、コンラート!」


 俺は、立ち上がった。


「南の蛮族を討ち、その地を、我らヴェネディクト家の新しい領地とする! そこで力を蓄え、富を築き、いつの日か、必ずや、あのハーグの成り上がり者どもに、目に物見せてくれるわ!」


 俺の言葉に、絶望に沈んでいた者たちの目に、再び、闘志の炎が宿った。


「うおおおっ!」

「若様についていきますぞ!」


 俺たちは、グラスに残った安物の葡萄酒を、高々と掲げた。

 それは、失われた栄光を取り戻すための、血塗られた復権の誓いであった。

 俺たちの、新しい戦いが、この薄暗い地下室から、今、始まろうとしていた。


 パチ、パチ、パチ……。


 その、熱狂的な歓声のさなか。地下室の、一番深い闇の中から、場違いなほど、ゆっくりとした拍手の音が聞こえてきた。


「……っ!? 誰だ!」


 俺たちは、一斉に懐に隠していた拳銃を抜き放ち、その銃口を影へと向けた。

 カンテラの光の中に、ぬっと、一つの人影が姿を現した。仕立ての良い、高価な衣服に身を包み、その口元には、全てを見透かしたような、いやらしい笑みが浮かんでいる。


「いやはや、素晴らしい。実に、心揺さぶられる演説でしたな、ディートリヒ坊ちゃま」


 その顔には、見覚えがあった。西の商業都市国家連合の大商人、ロレンツォ。父上が、そして俺たちが、ライルに敗れる原因を作った男の一人だ。


「……何の用だ、商人風情が。なぜ、ここがわかった」


「おっと、そう殺気立たないでいただきたい。敵の敵は味方、と申しましょう? 貴殿の熱い思いはよく分かりました。ですが、その素晴らしい計画には、一つ、致命的なものが欠けている」


 ロレンツォは、人差し指を立て、ゆっくりと左右に振った。


「『金』ですよ。軍を動かすには、船を雇うには、武器を揃えるには、莫大な金がかかる。今の、落ちぶれたヴェネディクト家に、それがありますかな?」


 その、痛いところを突く言葉に、俺はぐっと押し黙る。

 ロレンツォは、満足げに笑みを深めると、琥珀色の蜘蛛が糸を吐き出すように、甘い提案を紡ぎ始めた。


「そこで、この私です。貴殿の、その高貴なる『血筋』と『武力』に、この私の『財力』を、投資させていただきたい。船も、武器も、兵糧も、全てこの私がご用意いたしましょう。その代わり……」


 彼は、黄金色の瞳を、ぬらりと光らせた。


「貴殿らが手に入れた、その新しい国の、全ての交易利権を、この私に、独占させていただきたいのです」


 悪魔の契約。だが、今の俺に、この手を振り払う力はない。

 俺は、しばらく、その男の、底の知れない瞳を睨みつけた後、ゆっくりと、差し出されたその手を、強く、握り返した。


「……よかろう。契約成立だ」


 ヴェネディクト家の、復権への誓いは、今、琥珀色の野望と交わり、より深く、そして、より危険なものへと、姿を変えたのだった。

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