第24話 ダリウス公爵、ハーグに宣戦布告す
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴158年 4月20日 朝 快晴』
春。ハーグの街が、大豆とタバコという新たな作物の栽培準備で活気づいていた、そんなある日のことだった。帝都から届けられた一通の書状が、その穏やかな空気を引き裂いた。
差出人は、保守派貴族の筆頭、ダリウス公爵。その内容は、簡潔にして、過激だった。
『帝国の秩序を乱す逆賊、辺境伯ライル・フォン・ハーグを討つ。アヴァロン帝国の栄光のために』
「……ユーディルの情報によれば、ダリウス公爵は、先の不作で困窮する南部諸侯を焚きつけ、連合軍を結成したとのことです。『ハーグの豊かな富を奪い、飢えた民に分け与える』という大義名分を掲げてな」
ヴァレリアが、苦々しい表情で報告する。
その話を聞いていたファーティマ王女が、悲しそうな顔で俯いた。
「もしかして……私が帝国に来たことで、貴族の方々の対立を煽ってしまったのでしょうか……?」
「ううん、ファーティマさんのせいじゃないよ」
僕は、彼女の肩を優しく叩いた。
「あの人は、僕が最初に辺境伯になった時から、ずっと気に入らなかっただけだから。気にしないで」
軍議が開かれた。ヴァレリアが地図を指し示す。
「ダリウス公爵を筆頭に、飢えたアルバ公、ボーデン伯、コルヴィン男爵らの南部諸侯連合軍。兵力はおよそ一万五千。しかし、その大半は食うに困った農民兵。寄せ集めで、士気は低いと予測されます」
僕は、その報告を聞きながら、一つの単純な疑問を口にした。
「うーん……つまり、その人たちって、お腹が空いてるから、僕たちと戦うんだよね?」
「まあ、端的に言えば、そういうことになりますな」
ユーディルの言葉に、僕は「そっかあ……」と、考え込んでだ。
「じゃあさ、できるだけ食料をたくさん用意してよ! 作戦は簡単だよ!」
数日後。僕は、闇ギルドの傭兵団『黒竜の牙団』一万、そして騎兵隊、砲兵隊を率いて、ハーグ郊外の平原に出陣した。眼の前には、ダリウス公爵率いる連合軍が、だらしない隊列で布陣している。彼らの掲げる旗印は立派だが、その下にいる兵士たちは、誰もが痩せて、生気のない顔をしていた。
やがて、連合軍の先頭に立つダリウス公爵が、馬上から甲高い声で叫んだ。
「逆賊ライル! 神君ユリアン皇帝陛下を誑かし、帝国の秩序を乱すその大罪、その命をもって償わせてくれるわ!」
鬨の声が上がり、まさに戦闘が始まろうとした、その瞬間だった。
「待った、待ったー!」
僕は、大声で叫んだ。そして、後方に控えていた部隊に合図を送る。すると、僕たちの陣営の最前線に、巨大な鍋と、山のようなポテト、そして燻製にされたハーグ黒豚が、次々と運び込まれてきた。僕たちは、敵軍の目の前で、おもむろに温かい豚汁を作り始めたのだ。
やがて、豚肉と野菜の煮える、たまらなく美味そうな匂いが、春の風に乗って敵陣へと流れていく。
飢えた敵兵たちが、その匂いにざわめき始めるのがわかった。
「な、何を……何を、しているのだ、貴様らは……!」
ダリウス公爵が、困惑して叫ぶ。僕は、アシュレイが作ってくれたメガホン代わりの魔導具を手に、敵陣に向かって大声で呼びかけた。
「そこのお腹を空かせた皆さーん! ダリウスさんに騙されて、僕たちと戦ったって、お腹はちっとも膨れませんよー!」
僕ののんきな声が、平原に響き渡る。
「でも! 今、武器を捨てて、こっちに来てくれれば、この美味しいお肉とポテトの煮込みが、お腹いっぱい食べられまーす! さあ、どうしますかー?」
「ば、馬鹿なことを! そのようなものに惑わされるな! 進めーっ!」
ダリウス公爵が必死に叫ぶ。だが、彼の声は、兵士たちの腹の虫の音には勝てなかった。
最初に動いたのは、アルバ公だった。
「……もう、我慢ならん! 兵士たちよ、聞け! 我らは飢えを凌ぐために来たのだ! あの食事に比べれば、ダリウス公爵が約束した富など、何の価値もない! 我らは、ライル辺境伯に……いや、北方の王に降伏する!」
アルバ公の軍勢が、わっと歓声を上げ、武器を捨てて、我先にと僕たちの陣営へ向かって走り出した。
「なっ……アルバ公! 貴様、裏切るのか!?」
「我もだ! このボーデン伯も、ライル様に降る!」
「遅れるな! コルヴィン男爵軍も続け!」
それを皮切りに、諸侯たちが、まるで雪崩を打ったように、次々とダリウス公爵から離反していく。
あっという間に、平原には、わずかな側近だけを連れたダリウス公爵が、ぽつんと一人、取り残されていた。ヴァレリアとユーディルが率いる騎兵隊が、静かに彼を包囲する。
ダリウス公爵は、震える声で、ただ一言、こう言った。
「……こ、降伏、する……」
僕は、豚汁の鍋の前で、おたまを片手に首を傾げた。
「え、もう終わり? よかったあ。じゃあ、ダリウスさんも、一緒に食べます?」
僕の悪気のない一言に、ダリウス公爵は、馬上からくずおれるようにして、気を失った。
一滴の血も流れずに終わってしまった戦いを眺めながら、ヴァレリアが深いため息をついた。
「……これもまた、閣下の『戦』なのでしょうね」
その呟きは、春の穏やかな風に、どこか呆れたように溶けていく。
戦場には、ただただ豚汁の香りと、はしゃぐ諸侯たちの声が響いていた。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




