第237話 お嫁さんへの試練 テスト編 ええ~わたし選ばれちゃった~っ!
【カタリナ視点】
『アヴァロン帝国歴177年 11月25日 昼 快晴』
(うわあ……。わたし、とんでもないところに来ちゃった……)
わたし、カタリナ・シュミットは、帝都ハーグの新しい皇宮……その、だだっ広い庭園で、ただただ、周りの空気に圧倒されておりました。
きらびやかなドレスに身を包んだ、帝国の名だたる貴族の令嬢たち。扇子で優雅に口元を隠し、鈴が鳴るような声で囁き合っているその姿は、まるで物語に出てくるお姫様そのもの。
それに比べて、わたしは、村一番の仕立て屋さんに無理を言って作ってもらった、一張羅のワンピース。これでも、村では「カタリナちゃん、まるでお姫様みたいだよ!」なんて言われたのに、ここでは、まるで畑から出てきたばかりの芋娘みたいです。
(でも、後には引けないんだから!)
わたしが、この無謀ともいえる『皇帝陛下のお嫁さん探し』に参加したのは、ただ一つの理由からでした。
ラジオから聞こえてくる、若きリアン皇帝陛下の、優しくて、少しだけ頼りない、でも、民を思う心に満ちた声。その声に、わたしは、生まれて初めて、胸がキュンとなるような、甘いときめきを感じてしまったのです。
そんな憧れの御方の、お妃様を決める一大イベント。参加するだけでも、一生の思い出になるはず! そう思って、なけなしの汽車賃を握りしめ、この帝都までやってきたのでした。
やがて、庭園に設けられた壇上に、一人の、凛とした女性騎士が姿を現しました。ヴィンターグリュン王国騎士団長にして、ライル副宰相の奥方の一人、ヴァレリア様です。その翠色の瞳が、集まった令嬢たちを、射抜くように見渡します。
「これより、リアン一世陛下のお妃様を選定するための、第一の試練を始める! 心して、臨むように!」
ごくり、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえます。
ヴァレリア様は、こともなげに、最初の試練の内容を告げました。
「第一の試練は――体力測定! これより、この庭園を半周する、百メートル徒競走を行ってもらう!」
その言葉に、令嬢たちが、一斉にざわめきました。
「まあ、走るですって!?」
「このような、ドレスで……はしたないですわ!」
ですが、わたしの心は、俄然、燃え上がっていました。
(走るだけ! それなら、わたしの得意分野!)
わたしは、村では一番の駆けっこ自慢。毎日、畑仕事の手伝いで、野山を駆け回っていたのですから!
わたしは、周りの目も気にせず、ドレスの裾をたくし上げると、スタートラインに立ちました。
合図のピストルの音と共に、一斉に駆け出す令嬢たち。ですが、そのほとんどが、慣れない運動と、動きにくいドレスのせいで、よろよろと、お上品に走っているだけ。
わたしは、故郷の土を蹴るように、芝生を力強く蹴り上げました。
「うおおおおおっ!」
村一番の俊足は、伊達ではありません。わたしは、あっという間にごぼう抜きにし、ぶっちぎりの一位で、ゴールテープを切ったのでした。
ぜえぜえと肩で息をするわたしを、ヴァレリア様が、少しだけ驚いたような、でも、どこか感心したような、複雑な目で見つめていました。
次に案内されたのは、城の裏手にある、だだっ広い射撃場でした。
試験官は、ライル副宰相の正妻にして、アシュレイ工廠の頭脳、アシュレイ様です。
「第二の試練は、射撃っスよ! この新型ライフルで、五十歩先の的を撃ってもらうっス! まあ、当たるとは思ってないっスけど、銃の扱い方くらいは、覚えておいて損はないっスからね!」
ずらりと並べられた、黒光りするライフル銃。その、いかにも物々しい雰囲気に、令嬢たちの顔が、さっと青ざめていきます。
わたしも、こんな鉄の棒を触るのは、生まれて初めてでした。ですが、村では、父様と一緒に、弓で鳥を撃ったり、投石器で猪を追い払ったりしたことがあります。
(狙って、引き金を引くだけ。きっと、同じはず!)
他の令嬢たちが、銃の重さにふらついたり、引き金を引くのを怖がったりする中、わたしは、見よう見まねで、しっかりと銃を構えました。
狙いを定めて、引き金を引く。
ズッバーン!
凄まじい轟音と、肩を殴られたかのような衝撃! 弾は、的のはるか上を飛んでいきましたが、少なくとも、銃を落としたり、反動で尻もちをついたりすることは、ありませんでした。
「ほう、筋は悪くないっスね」
アシュレイ様が、片眼鏡の奥の瞳を、キラリと光らせたのが見えました。
そして、最後にして、最大の難関。筆記試験です。
静まり返った大広間で、わたしは、真っ白な解答用紙を前に、完全に固まっていました。
(うっ……。こ、これ、なんて書いてあるんだろう……?)
『帝国の歴史における、先帝ユリアン陛下の功罪について、述べよ』
『新大陸との交易が、帝国の経済に与える影響を、具体的に論ぜよ』
『アシュレイ工廠が開発した、新型肥料の化学式を答えよ』
見たこともない、難しい漢字の羅列。さっぱり意味のわからない、数字の計算。わたしの頭は、完全に、真っ白になっていました。
(うう……。ジャガイモの育て方とか、美味しい豚汁の作り方についてなら、いくらでも書けるのに……)
わたしは、ほとんど白紙に近い答案用紙を、泣きそうな顔で提出することしかできませんでした。
全ての試験が終わり、結果発表の時。
壇上には、オルデンブルク宰相が立ち、最終選考に残った、二名の名前を、厳かに読み上げようとしています。
(もう、ダメだ……。わたしは、ここで終わりなんだ……)
筆記試験の惨憺たる結果を思い出し、わたしは、完全に諦めていました。
宰相が、最初の一人の名前を告げます。
「――元ヴェネディクト侯爵家ご令嬢、エレオノーラ様!」
わあ、と周りから、感嘆の声が上がります。彼女は、試験中も、常に落ち着き払い、完璧に全てをこなしていた、才色兼備と名高いお嬢様でした。
そして、宰相が、最後の名前を告げようとした、その時。わたしは、見てしまったのです。
壇上の脇に控えていた、ライル副宰相が、宰相に、何かを、そっと耳打ちしているのを。宰相は、一瞬だけ、驚いたように目を見開きましたが、すぐに、こほん、と咳払いをして、続けました。
「そして、最後の一名は――」
その声が、やけに、大きく聞こえました。
「――カタリナ・シュミット嬢!」
「えええええええええっ!?」
わたしの、素っ頓狂な絶叫が、静まり返った大広間に、こだましたのでした。
その様子を、遠くからライル様が暖かい目で見つめているような気がしました。
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