第233話 帝都ハーグ、愛の騒乱 若き皇帝の花嫁探し
【オルデンブルク宰相視点】
『アヴァロン帝国歴177年 11月17日 夜 雨』
帝都ハーグの皇宮、その一室。窓の外では、冷たい秋の雨が、新しい都の石畳を執拗に叩いておりました。わたくしは、暖炉の前に置かれた重厚な椅子に深く腰掛け、先ほど交わしたライル殿との会話を、頭の中で反芻しておりました。
『リアン君も、そろそろ結婚して、子供でも作ったら?』
あの御方の、実に何気ない、しかし、時として帝国の核心を突く一言。陛下は、ライル殿のような気さくな男たちと交流することで、皇帝としての自覚を芽生えさせ、『朕』や『余』といった一人称をお使いになるまでにご成長なされた。じゃが、陛下がまだ若く、父君であるユリアン皇帝を暗殺という悲劇で失い、そして、精神的にあのライル殿に頼りがちな現状を思えば……。
(うむ、ライル殿の言う通りよ)
早急な皇后の擁立は、この帝国の安定と、未来の皇位継承にとって、まさに喫緊の課題。わたくしは、暖炉の炎を見つめながら、深く、深く頷きました。若き皇帝陛下の将来のため、そして、この帝国の安寧のため、この老骨が、最後の御奉公をせねばなるまい。
わたくしはすぐに行動を開始いたしました。夜を徹して過去の典礼に関する書類を読み漁り、翌朝には、リアン陛下への謁見を求め、真剣な顔で、こう進言申し上げたのです。
「陛下。帝国の安定と、将来の皇位継承のため、早急に皇后を擁立なされるべきかと存じます。つきましては、古の慣習に則り、全国より御成婚候補者を募集いたしたく、陛下の御裁可を仰ぎたく存じます」
わたくしの、あまりに真剣な申し出に、リアン陛下は、きょとんとした顔で固まっておられました。
「えっ……? ら、ライルさんの、あの冗談を、本気にするのかい、宰相……」
陛下は、助けを求めるように、部屋の隅に控えていたライル殿へと視線を向けられます。じゃが、当の本人は、南方任務の準備で使うという、新しい地図を広げるのに夢中で、こちらのことなど、まるで意に介しておりません。
「えー、僕にはよくわかんないや。オルデンブルクさんにお任せするよ!」
その、あまりにいつも通りの、無責任な一言。リアン陛下は、観念したように、深いため息をつかれました。わたくしは、陛下のそのご様子に、内心で静かに頷きつつも、実務的な判断として、彼の許可を得て『皇帝陛下御成婚候補者募集』の布告を出すことを決断いたしました。
わたくしが起草した布告は、古き良き帝国の伝統を重んじる、格式ばった、厳粛なものでございました。
じゃが、その古風な布告が、ハーグで爆発的な人気を誇る新聞『ハーグ・タイムス』や、レオ様が発明したラジオといった、新しい媒体の手に渡った瞬間、それは、わたくしの想像を遥かに超える、熱狂的な騒乱の狼煙へと姿を変えてしまったのです。
『速報! 若き皇帝リアン陛下、ついに皇后を公募! シンデレラは、君だ! ハーグへ集結せよ!』
その、あまりに扇情的で、しかし、人々の心を鷲掴みにする見出しは、瞬く間に帝国全土へと広まりました。
『新しい都ハーグ』。その活気ある街並み、電気、水道、鉄道といった進んだ技術。そして、ハーグ黒豚、ポテト、コーヒー、カクテル、紅茶、アイスクリームといった、夢のような豊かな食文化。全てが、帝国中の人々にとって、憧れの象徴となっておりました。
そして何より、リアン陛下ご自身が、ライル殿との交流を通じて、堅苦しい皇帝というよりは、親しみやすく、庶民的な一面を持つ若者として、広く知られておりました。
これらの要素が、奇跡的な化学反応を起こしたのでしょう。
その日の朝から、帝都ハーグの駅や街は、わたくしの生涯で見たこともないほどの、女性たちでごった返しておりました。
帝都の名門貴族の令嬢たちは、家紋を輝かせた豪華な馬車で。裕福な商家の娘たちは、真新しいドレスに身を包み、最新式の鉄道で。そして、帝国各地の村々からは、なけなしの荷物と、大きな夢だけを抱えた、素朴な娘たちが、目を輝かせながら、この新しい都を目指してやってくるのです。
宿屋は満室、食堂は長蛇の列、街角では、即席のファッションショーや、歌唱コンテストまでが自然発生する始末。
わたくしは、皇宮の窓から、その、活気に満ち、しかし、完全なる大混乱に陥った帝都ハーグの光景を、ただ、呆然と見下ろしておりました。
(……わたくしは、一体、何を、解き放ってしまったのじゃろうか……)
帝国の未来を案じた、ただの忠義心。それが、今や、帝国中を巻き込む、巨大な『愛の騒乱』へと発展してしまった。
わたくしの、長い、長いため息が、雨上がりの澄んだ空へと、虚しく消えていったのでございます。
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