第221話 新型肥料(グアノ)
【シュタインブリュック男爵視点】
『アヴァロン帝国歴177年 7月下旬 シュタインブリュックの村』
わがシュタインブリュックの村は、息を吹き返していた。
北の帝都ハーグから、一日二度、鉄の道を通って列車がやってくる。そのたびに、赤錆びていたはずの駅舎は、人の活気と、遠い都の新しい匂いで満たされるのだ。駅前の寂れた商店も、今では旅人相手の商売で息を吹き返し、子供たちの笑い声が聞こえるようにもなった。
先の大戦が、思ったよりも早く終戦を迎えたため、わしらも随分と早く、この故郷の土を踏むことができた。ハーグとその周辺の豊かな農村で過ごしたあの日々は、この老骨には、刺激が強すぎたが、実に大きな経験となった。
あの、どこまでも続くトウモロコシ畑と、痩せた土地でも驚くほど実るポテト。あの圧倒的な生産力の前に、我が村のような、ただ昔ながらに麦を作るだけの農業では、いずれ立ち行かなくなるだろう。麦の品質を極限まで高めるか、それとも、新しい作物を取り入れるか。どちらにせよ、変化の時が来ている。
「まあ、このあたりは、村のみんなと、ゆっくり相談すれば良いか」
今日もわしは、一日の仕事を終えた領民たちが集う、村で唯一の酒場にいた。
昼飯の黒パンと塩漬け肉をかじりながら、カウンターの隅に置かれたラジオに耳を傾ける。帝都の陽気な音楽と、若い男女の楽しげな声は、この村のささやかな娯楽だ。放送が終わる頃には、皆、腹も心も満たされている。
そんな、いつもの昼下がりのことだった。郵便配達の若い男が、一通の小包を手に、酒場へと入ってきた。
「農夫のゲルトさんは、おられるかい! ハーグからの、お届けもんだ!」
その声に、酒場にいた全員の視線が、隅の席で黙々とスープをすすっていた、一人の男へと集まった。農夫のゲルト。ラジオで一躍、有名人になってしまった、あのノーラちゃんの父親だ。
彼は、おずおずと立ち上がると、その小包を受け取った。皆が、好奇の目で、その手元を覗き込む。
「ゲルト、手紙が読めないんだったな。どれ、わしが読んでやろう」
わしがそう言うと、彼はこくりと頷き、封筒を差し出した。わしは、その手紙を広げ、皆に聞こえるように、ゆっくりと読み上げた。
『父様、母様へ。ハーグで元気にしています。これはグアノという、海の向こうから来たとても良い肥料です。畑に撒けば作物が元気に育つそうです。どうか試してみてください。――ノーラより』
手紙と共に、小さな布袋が、ことりとテーブルに置かれる。中には、真っ白で、さらさらとした粉が入っていた。
その瞬間、酒場の空気が、熱を帯びた。
「ゲルト、それ、ラジオで噂になっとる、新しい肥料じゃねぇか?」
「すげえ! ノーラちゃん、親孝行な娘さんだな!」
「いいなあ、それ! なあゲルト、悪いが、おれにちょっとだけ分けてくれんか!」
一人の男がそう言うと、堰を切ったように、他の者たちも「おれにも!」「少しでいいから!」と、ゲルトに詰め寄り始めた。
だが、ゲルトは、その布袋を、まるで宝物のように胸に抱きしめ、頑なに首を横に振っている。その気持ちも、わからんでもない。娘からの、たった一つの贈り物なのだから。
わしは、パン、と一度、手を叩いた。
「のう、お前たち。少し、落ち着きなさい」
わしが間に入ると、皆、ぴたりと口をつぐんだ。
「その新型肥料だがの。欲しいのであれば、娘さんからの贈り物を奪い合うのではなく、この村として、正式に購入してはどうだろうか」
わしの提案に、酒場が、わっと歓声に包まれた。
「おお、さすがは男爵様、話が早い!」
「そうだ、そうしましょう! ハーグの実りを、我らの村にも!」
「この村を、もっと、もっと豊かな村にしましょうぞ!」
ゲルトも、その顔に、安堵と、そして誇らしげな笑みを浮かべていた。
こうして、ノーラちゃんが送ってくれた、たった一袋の白い粉は、このシュタインブリュックの村に、新しい時代の種を蒔いた。
その種が、やがて大きな実りとなって、この土地と、人々の未来を、豊かにしていく。わしには、そんな確信にも似た予感が、胸いっぱいに広がっておった。
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