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【書籍化作業中】投げたら刺さった~ラッキーヒットで領主になった僕の成り上がり英雄譚~  作者: 塩野さち


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第214話 帝都フェルグラント降伏

【ヴェネディクト侯爵視点】


『アヴァロン帝国歴176年 4月2日 昼 帝都フェルグラント 雨』


 旧帝都フェルグラントの空は、鉛色の雲に覆われ、冷たい雨がしとしとと降り続いていた。まるで、この沈みゆく帝国の未来を悼む、天の涙のようであった。

 わたくし、ヴェネディクト侯爵は、玉座の間の窓辺に立ち、活気を失った灰色の街並みを、ただ無感情に見下ろしていた。玉座には、若き皇帝ルキウス陛下が、その小さな体に不釣り合いなほどの重責に顔をこわばらせ、座っておられる。だが、この部屋に、帝国の未来を語る熱気など、もはやひとかけらも残ってはいない。


 その、淀んだ空気を破るように、重厚な扉が厳かに開かれた。

 入室してきたのは、武骨な軍人上がりのイェーガー伯爵。その顔は、長年の戦場を生き抜いてきた男の、厳しいものだった。だが、今日の彼の表情には、それとは違う、深い諦観の色が浮かんでいた。その腕には、一つの、場違いなほど簡素な木箱が抱えられている。ラジオであった。


 イェーガー伯爵は、玉座の前に進み出ると、ルキウス陛下とわたくしに向かって、深く、しかし、もはや敬意の欠片も感じられぬ、形式的な礼をした。


「帝都を脱出するにあたり、どうしてもルキウス陛下には、筋を通しておきたくて参上いたしました」


 その言葉は、訣別の挨拶であった。わたくしは何も言わず、ただ、彼の次の行動を、静かに見つめていた。

 イェーガー伯爵が、木箱のツマミをひねる。ザー……という雑音の後、スピーカーから、まるで別世界のような、陽気な音楽と、若い男女の明るい声が流れ出した。


『はーい、皆さんこんにちは! お昼のひととき、いかがお過ごしですか? あなたの心とお腹を満たす三十分、『フェリクスとノーラのまんぷくハーグ!』、始まるよ!』

『始まる、のです!』


 北の都ハーグからの、文化という名の侵略。それは、どんな軍隊よりも雄弁に、我らの敗北を物語っていた。

 ラジオの中では、今日のゲストだという、シュタインブリュック男爵が、実に美味そうにハンバーグとやらを頬張りながら、自らの領民を率いて、アヴァロン帝国から脱出した時のことを、楽しげに語っている。希望に満ちた、新しい国での生活を。


 その、あまりに平和で、豊かな放送が、この、沈黙と絶望に支配された玉座の間に、虚しく響き渡る。

 やがて、放送が終わった。イェーガー伯爵は、ラジオのツマミを静かに切ると、ルキウス陛下を、まっすぐに見据えた。


「率直に申し上げて、これがアヴァロン帝国崩壊の現状でございます。我々は、戦う前から負けてしまったのです……ルキウス陛下、どうかご決断を……」


 その、静かだが、有無を言わせぬ言葉。

 ルキウス陛下は、完全に狼狽しておられた。その瞳は、助けを求めるように、わたくしへと向けられる。


「ヴェネディクト侯爵、ど、ど、ど、ど、どうすれば良い……」


 わたくしは、深いため息をついた。

 そうだ、もう、終わりなのだ。この、古き良き、しかし、時代に取り残された帝国は。わたくしが守ろうとした秩序も、伝統も、北から吹く新しい風の前では、あまりに無力であった。


「……ここは大人しく降伏しましょう。既に国境沿いの村々はもぬけの空です。防衛線も機能しておりません……なに、このヴェネディクトにお任せください。陛下には害が及ばないようにいたします」


 その言葉を口にした瞬間、わたくしの心は、不思議なほど、晴れやかであった。敗北を認めることは、新たな始まりでもあるのだと、そう、悟ったのかもしれない。

 わたくしは、イェーガー伯爵の方を、ゆっくりと振り返った。


「イェーガー伯爵! 私もハーグへ行く。降伏の使者としてな。これなら文句はないだろう?」


 その、わたくしの覚悟を込めた言葉に、歴戦の老将軍は、初めて、ほんの少しだけ、その厳しい表情を緩めた。


「ははっ、かしこまりました」


 その日、旧帝都フェルグラントから、一通の電信が、北の都ハーグへと送られた。

 わたくしが、自らの手でその短い文面を打った。


『ワレ、ヴェネディクト、コウフクス、ツミハスベテワレニアリ』


 それは、アヴァロン帝国の事実上の全面降伏であった。

 窓の外では、まだ冷たい雨が、静かに降り続いていた。


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