第209話 レオ最大の傑作 ~ラジオ~
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴177年 3月5日 朝 晴れ』
その日の朝食は、いつもと少しだけ違う空気に包まれていた。
原因は、僕の長男、レオだ。普段なら、アシュレイに「早くしないと置いてくっスよ!」と急かされて、ギリギリに席に着く彼が、今日に限っては、誰よりも早く食卓で僕たちを待っていたのだ。その背筋は、いつもより、ほんの少しだけ伸びているように見える。
そして、彼の後ろには、テーブルと同じくらいの大きさの、奇妙な木製の箱が、どしんと鎮座していた。
(ああ、このパターンは、知ってるぞ……)
こういう日は、決まってプレゼンが始まる。そう、つまりは『お金ください!』という、彼なりの儀式なのだ。
僕が、やれやれと肩をすくめていると、レオは、満を持して立ち上がった。
「父さん、母さん、そして、みんな! 今日は、僕の最高傑作を、発表させてもらう!」
彼は、誇らしげに、後ろの箱を指さした。
「これは、『ラジオ』という!」
箱の側面についた、いくつかのツマミを彼がひねると、最初は「ザー……」という雑音が聞こえただけだった。だが、彼が慎重にツマミを回していくと、その雑音の中から、突如として、聞き慣れた、実に威勢の良い声が飛び出してきたのだ!
『やっほー! アシュレイ工廠の皆さん、今日も一日、元気いっぱい、爆発していきましょう! アナタ、愛してる~っ!』
その声は、間違いなく、僕の隣でパンをかじっている、アシュレイのものだった。
「えっ!?」
アシュレイ自身も、驚きに目を丸くしている。
「私の声が、箱の中から……!?」
『私のほうが、愛してますっ!』
その声を聞いたヴァレリアが、思わずといった様子で、むきになって叫んだ。
「あれっ!? アシュレイが、小さくなって箱の中に入ってるわけじゃないよね? それとも、この前発明した、蓄音機の応用かい?」
僕が、素っ頓狂な声を上げると、隣に座っていたフェリクスが、耳を澄ませながら、静かに言った。
「いや、父さん。この声の奥で、微かに、トンツーの音が聞こえる……。たぶん、僕がいつもいる、皇宮の電信局と繋がってるんだ」
「そうだね、フェリクスさん……」
ノーラちゃんも、こくりと頷いた。
レオは、僕たちの驚きぶりに、実に満足げな顔で、にっと笑う。
「電信の信号を、音声に変えて、遠くまで飛ばす。これが、ラジオの仕組みさ! と、いうわけで、この素晴らしい発明を、帝国中に広めるための、予算をくださいっ!」
「とは言ってもなあ、いまは街の復旧工事の真っ最中だし、予算もカツカツなんだよなあ……」
僕が、いつものように渋い顔をしてみせると、フェリクスが、すっと手を挙げた。
「父さん。これって、広い意味では『通信』だよね? それなら、通信大臣である僕の管轄だ。僕の予算から、出そう! ただし、条件がある!」
「お、おう。言ってみろ、弟よ」
「このラジオっていう機械を、みんなに売って、そのお金で儲けたいんだ! そして、ゆくゆくは、広告の媒体としても活用する。どうかな?」
「いいな、それ!」
僕が、ぽんと膝を打つと、話はあっという間にまとまった。
こうして、レオの発明と、フェリクスの商才が組み合わさり、ヴィンターグリュン帝国に、新しい文化の風が吹き始めることになったのだ。
帝都ハーグの中心部には、あっという間に、天を突くような巨大な鉄塔が建てられた。その一階は、ガラス張りの放送局になっており、そこから毎日、様々な音声が、帝国中に向けて発信されるようになった。
ラジオは、レオの強い希望で、ほとんど赤字覚悟の、驚くような低価格で売りに出された。おかげで、またたく間に、帝都の隅々の家庭にまで普及していった。
普段、ラジオからは、流行の音楽が流れている。だが、一日に三回、朝七時、昼十二時、そして夕方六時になると、特別な番組が放送された。この、決まった時間に、みんなが同じものを聞くという新しい習慣は、人々の暮らしに、確かな彩りと、一体感をもたらしてくれた。
中でも、一番の人気番組となったのが、フェリクスとノーラちゃんが司会を務める、お昼の番組だった。
『はーい、皆さんこんにちは! お昼のひととき、いかがお過ごしですか? あなたの心とお腹を満たす三十分、『フェリクスとノーラのまんぷくハーグ!』、始まるよ!』
『始まる、のです!』
ガラス張りの放送ブースの中では、フェリクスとノーラちゃんが、マイクに向かって、実に楽しそうに話している。今日のテーマは、西通りに新しくできた、コーヒーゼリーの店のようだ。二人が、それを美味しそうに食べる音と、楽しげな感想が、ラジオを通して、帝国中に届けられる。
この番組で取り上げられた店は、次の日には、必ず長蛇の列ができた。
そして、この番組には、もう一つ、大人気の名物コーナーがあった。
『さあ、続いては、このコーナー! 今は亡き、先帝ユリアン陛下が愛した味を、僕、フェリクスが再現する、『ユリアン皇帝の琥珀色の時間』!』
故ユリアン皇帝が、趣味人として、個人的に書き残していた、様々なカクテルのレシピ。それを、フェリクスがスタジオで作り、ゲストに振る舞うという、少し大人向けのコーナーだ。
この日のゲストは、ニヴルガルドから、ハーグの視察に来ていたヒルデさんだった。
『いやあ、フェリクス様。これは、本当に素晴らしいお味ですわ。なんだか、ライル様の若い頃を、思い出します……。ねえ、この後、二人で、飲みに行きませんか?』
すっかりカクテルの『サンセット』に酔っぱらってしまった彼女が、フェリクスに甘い声で絡みだす。その、あまりに生々しい放送に、ハーグの市民たちは、苦笑いを浮かべていたという。もちろん、その夜、ヒルデさんがヴァレリアに、こってりと絞られたのは、言うまでもない。
この他にも、ラジオからは、様々な番組が流れた。
アシュレイとレオが、最新技術を子供にも分かりやすく解説する『アシュレイ工廠アワー・科学の扉』。ヴァレリアの号令に合わせて、市民が軍事教練を行う、『ヴァレリアの新兵訓練』……ホントになぜか人気があるんだろう? そして、僕が子供たちに、物語を読み聞かせるだけの、夜の番組『おやすみ前の朗読会』。僕の、あまりに優しい声に、聞いている大人まで眠くなってしまうと、意外な人気を博していた。
ラジオの人気は、フェリクスの生活も、大きく変えた。
ある日の放送で、彼は、ノーラちゃんとの出会いから、人身売買疑惑で謹慎に至るまでの経緯を、自らの言葉で、誠実に語った。その、真っ直ぐな言葉は、ハーグ市民の心を打ち、二人の関係は、すっかり公認のものとなった。
だが、同時に、他の女性といると、「ノーラちゃんがいるのに……」という、なんとも言えない気まずい空気が漂うようにもなってしまった。
そんな、ある日の放送終わり。
フェリクスとノーラちゃんが、ガラス張りのブースから出てくると、スタジオの隅で、十人ほどの、どこか見覚えのある、村人風の男女が、じっと、こちらを見つめていた。その表情は、喜びとも、悲しみともつかない、複雑な色を浮かべていた。
その視線に、ノーラちゃんが、はっとしたように、息をのんだ。
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