第208話 コーヒーゼリー えっ、ナニコレ? ぷるっとして美味しいんだけど?
【ハーグ・タイムス記者、エミリア・クロイツ視点】
『アヴァロン帝国歴177年 2月28日 昼 曇りときどき晴れ』
議事堂の喧騒を後に、わたしはヴィンターグリュン帝国の大物である、フェリクス殿下の後をついて、少しだけ薄暗い路地へと足を踏み入れていた。彼が案内してくれたのは、派手な看板も掲げていない、隠れ家のようなカフェだった。
「エミリアさん、ここの店はコーヒーゼリーが美味しいよ!」
席に着くなり、フェリクス様がそう教えてくれた。
「コーヒーゼリー? なんです、それ?」
聞き慣れない名前に、わたしは首を傾げる。
「ふふっ、食べれば分かるさ」
フェリクス様は、悪戯が成功した子供のように、楽しげな笑みを浮かべた。その、あまりに無防備な笑顔に、わたしの心臓が、少しだけドキリと音を立てる。
わたしは、落ち着かない心を隠すように、店内を見回した。そして、すぐに気づいた。この店の客層は、お世辞にも良いとは言えない。カウンターの隅では、いかにもな傭兵崩れの男たちが、昼間からエールを呷り、紫煙をくゆらせている。奥のテーブルでは、何人かの男たちが、ダーツやポーカーでの賭け事に、真剣な顔で興じていた。
(うわあ……。なんだか、すごく空気が悪いんですけど……!)
わたしが内心で引きつっていると、フェリクス様が、店のマスターらしき、無愛想な男に声をかけた。
「ねえ、マスター。闇バーのほうはどうなの?」
「いま同じ場所に建て直しているところです。焼けてしまいましたからね」
(闇バー!? このお店、もしかして、あの噂の……!?)
「ふふっ、この店のルーツが気になるかい?」
わたしの心の声が聞こえたかのように、フェリクス様が尋ねる。
「えっ、ええ、まあ……」
「いちおうこれでも、今は亡きユリアン皇帝も通っていたバーがルーツなんだけどね……。カクテルやバーボンの発祥の店でもあるんだよ」
「お詳しいですね」
(そんなことより、店の雰囲気、悪すぎじゃないですか~!?)
わたしが内心で叫んだ、その時だった。カウンターの傭兵たちが、ぞろぞろとこちらへやってきた。
「おう、ライルのせがれじゃねえか」
「久しぶりだな、坊ちゃん。よく来たな」
「よう、今日は賭けねぇのか?」
その、あまりに気さくな、というか、馴れ馴れしい口ぶりに、わたしは完全に固まってしまう。だが、フェリクス様は少しも動じることなく、にこやかに手を振って応えた。
「うん、こんにちは。さすがに、今日は連れがいるからね」
「おうおう、そこのネェちゃん、ラッキーだな」
「ああ。ここは何でもあるぜ。まずいメシから、たまに美味いメシまでな」
「まあ、俺たちは安酒で十分だけどよ!」
げらげらと笑う男たちに、わたしは「あっ、はははは、はい……」と、引きつった笑みを返すことしかできなかった。
やがて、マスターが、二つのガラスの器を、ことり、とテーブルに置いた。
「お待ちどうさま、コーヒーゼリーでございます。シロップとミルクを、お好みでかけてお召し上がりください」
「わあ、僕これ好きなんだ! ありがとう、マスター」
それは、真っ黒で、ぷるぷるとした、奇妙な物体だった。
(ええっ? こ、これを、食べるんですか……?)
横を見ると、フェリクス様は、真っ白なミルクをたっぷりとかけて、実に美味しそうに、その黒い物体をスプーンですくっている。
「どうしたの? あまり、気がすすまないかな?」
彼が、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
(うっ……! ここで断ったら、記者失格! それに、皇太子様と仲良くなる、またとない機会を逃すことになる! えーいっ、ままよ!)
わたしは、意を決した。
「いっ、いただきます!」
スプーンですくって、おそるおそる口に運ぶ。ひんやりとした感触と共に、コーヒーの、豊かな苦みが口の中に広がった。そこに、シロップとミルクの、優しい甘さが、絶妙に絡み合う。
「もぐもぐ……な、なにこれ? ぷるっとしてて、甘くて、ほろ苦くて……おっしゃれ~! マスターさん! ちょっと、これ、新聞でとりあげてもいいですか!?」
その、生まれて初めての美味しさに、わたしは、記者としての本能を、完全に呼び覚まされていた。
わたしが、興奮気味にマスターに詰め寄ろうとした、その時。ふと、店の入り口に、視線を感じた。
ガラス戸の向こうで、一人の、可愛らしい少女が、こちらを『ぐぬぬぬぬ……』という顔で、睨みつけている。
(あの子は、確か……!)
わたしの思考を遮るように、フェリクス様が、すっと席を立った。
「じゃあ、マスター、これ、お勘定ね。エミリアさん、ごめん。僕は、これから通信の仕事があるから、これで失礼するよ。……ごめーん、ノーラちゃん、今行くから!」
「あっ、ちょっと、フェリクス様! 議会のことも、もっと詳しく聞かせてほしいんですけど!」
わたしが慌てて呼び止めるも、彼は、店の外で待ち構えていた少女に、何かを必死に弁解しながら、足早に去っていってしまった。
(逃げられてしまったか……。まっ、でも、記事のネタはできたわね!)
わたしは、気を取り直すと、ペンとメモ帳を取り出した。
そして、まだ少しだけむすっとしているマスターに向かって、最高の笑顔で、取材を開始したのだった。
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