第200話 開拓地の隠者たち。やあ、久しぶり! 元気してた? なんかまた巻き込んじゃうけどゴメンね……
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴176年 4月7日 夜 曇り』
粗末な幌馬車に揺られること、丸一日。
帝都ハーグを脱出して以来、僕たちは、ほとんど休みなく北へと馬を進めていた。舗装されていない道を走るたびに、車輪が石に乗り上げては、車内が激しく揺れる。その衝撃は、僕たちの疲弊しきった体に、容赦なく響いた。
燃え盛る白亜の館。鳴り響く人々の怒号と悲鳴。あの夜の光景が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。僕が、家族が、仲間たちが、築き上げてきた全てが、一夜にして灰燼に帰したのだ。
ここは、ハーグとスカルディアの中間にある、広大な開拓地。
そう、かつて帝国の農業大臣として、僕と共に働いてくれた友人、ゲオルグが治める領地だ。追っ手から逃れるため、僕たちは、この地に、一縷の望みを託していた。
馬車の揺れが、ようやく緩やかになる。どうやら、目的地に着いたらしい。
「あったたたたた……。腰が、腰が砕けるっス……」
馬車から降りたアシュレイが、老婆のように腰をさすりながら、情けない声を上げた。
「ライル~、次、僕らが開発するものが決まったっスよ! 絶対に腰が痛くならなくて、もっと快適で、ふかふかな乗り物を作るっス! なあ、レオ! お前も手伝うっスよ!」
「母さん、それいいね! 僕、手伝うよ! 衝撃を吸収するバネの構造を工夫して……」
アシュレイの突拍子もない宣言に、息子のレオが、目を輝かせて応じる。その、あまりにいつも通りの二人のやり取りに、張り詰めていた空気が、ふっと和らいだ。ヴァレリアも、僕も、思わず笑みをこぼしていた。
どんな状況でも、この親子は、本当に変わらないな。
「あの、これ、学校の帰りに、偶然カバンに入っていたチョコです。非常食に、と思ってたんですけど……みんなで分けましょう!」
ノーラちゃんが、カバンの中から、少しだけ欠けてしまった板チョコレートを取り出した。こんな時でも、彼女は、周りのことを一番に考えてくれる。本当に、優しい子だ。
彼女は、そのチョコレートを一枚ずつ、丁寧に割っていくと、まず、一番疲れた顔をしているヴァレリアに、そっと差し出した。
「かたじけない。恩に着る」
ヴァレリアが、騎士のように、厳かに礼を言って、それを受け取る。その口調は真面目なものだったが、その目元は、優しく細められていた。
甘いチョコレートが、疲れ切った体に、じんわりと染み渡っていく。
改めて、周りを見渡した。
ゲオルグの領地は、街というより、大きな村、といった方がしっくりくる。石やレンガでできた建物はなく、木を組み上げて作られた、素朴な家々が点在していた。城壁や見張りのための櫓なども、どこにも見当たらない。武装した兵士の姿もなく、ただ、静かな夜の静寂が、あたりを支配していた。
風の噂では、ゲオルグは今でも、この土地で、帝国の誰も見たことがないような新しい作物を見つけては、その栽培に、日夜、挑戦しているという。彼らしい、実に彼らしい場所だった。
僕たちは、村の中で、ひときわ大きな館の前へとたどり着いた。どうやら、この村には、まだ電気が通っていないらしい。窓から漏れるのは、ランプの、頼りない、オレンジ色の光だけだ。
僕が、代表して、その木の扉を叩いた。
「あのぅ~すみません! ライルです! ゲオルグ~っ! いるかい?」
僕の、少し間延びした声が、夜の闇に吸い込まれていく。
しばらくすると、館の中から、ランタンの明かりが、こちらへ近づいてくるのが見えた。
扉が、ギィ、と音を立てて開かれる。そこに立っていたのは、僕が予想もしなかった人物だった。
「どうも、父さん。ご無事で……よかった」
「おっ、フェリクスじゃないか! 無事だったのか! よく、僕たちがここに来るってわかったな!」
そこにいたのは、狙撃されて以来、行方が分からなくなっていた、息子のフェリクスだった。その顔は、少しだけ汚れていたけれど、その瞳には、確かな光が宿っている。
僕の問いに、フェリクスは、少しだけ照れたように笑った。
「ふふっ、父さんのことなら、なんとなく分かるよ。きっと、ゲオルグさんのところに行くんじゃないかなって」
僕とフェリクスが、再会を喜び合っていると、その奥から、さらにもう一人、懐かしい顔が、ぬっと姿を現した。
「あっ、あなたは……! 傭兵団『鉄の誓い』の団長! ゼルガノスさんじゃないですか!」
そこにいたのは、かつて、僕が領主だった頃に、何かと世話になった、歴戦の傭兵団長、ゼルガノスその人だった。風の噂では、帝国が平和になったことで、傭兵団は解散したと聞いていた。まさか、こんな場所で、彼と再会することになるなんて。
「どうも、ライル様。ご無沙汰しております。いやはや、すっかり世の中が平和になってしまいましてね。俺たちみたいな荒くれ者の出番もなくなっちまったんで、傭兵稼業からは、足を洗ったんですよ。今は、ゲオルグ旦那のところで、畑仕事を手伝ってるってわけです」
ゼルガノスが、豪快に笑いながら、そう説明していると、館の奥から、当の本人もやって来た。緑色の、派手な寝巻姿のまま。
「んん……。なんだ、騒がしい……。ライルじゃないか。どうしたんだ、こんな夜更けに……」
「あっ、どうもゲオルグ! 寝てるところ、ごめん!」
僕たちは、館の中へと招き入れられると、ゲオルグとゼルガノスに、帝都ハーグで起きたこと、そして、僕たちが、命からがら逃げ出してきたことを、全て話した。
僕の話を聞き終えたゼルガノスが、突然、腹を抱えて、はぁ~っはっはっは、と笑い出した。
「なるほど、なるほど! そういうことでしたかい! また、乱世ってわけですな! いやあ、腕が鳴らあ!」
彼は、にやりと口の端を吊り上げると、僕に、とんでもない提案をしてきた。
「どうです、ライル様? それなら、また俺の傭兵団を、雇っちゃくれませんか? 昔の仲間たちも、この村で、鍬を握りながら、うずうずしてるはずですよ」
「いいのか、ゼルガノス? 君は、もう、傭兵を辞めたんじゃ……」
「ええ、もちろん、タダとは言いませんぜ。ただし! この戦、あんたが勝ったら、俺にも、ちいとばかし、領地をくださいよ!」
その力強い瞳。僕は、迷わなかった。
「よし! いいだろう! 君の力を、貸してくれ!」
こうして僕たちは、思いがけず、頼もしい味方を得ることができた。その夜は、ゲオルグの館に泊めてもらうことになった。
翌朝。
僕が、簡易なベッドの上で目を覚ますと、すぐそばの闇の中に、一人の人影が、音もなく立っていることに気づいた。
「ライル様、おはようございます。昨夜は、お休みになれましたでしょうか」
その、静かで、落ち着いた声。僕は、その人物を知っていた。
「ユーディル……! どうして、君がここに」
闇ギルドの長ユーディル。彼は、まるで最初からそこにいたかのように、自然に佇んでいた。
「フリズカ様が、ライル様のご身辺を、大変、心配されておりました。ハーグでの一件を聞き、すぐに、私を。道中の安全なルートは、すでに確認しておきました。さっそく、スカルディアへ! 女王陛下は、すでに、軍の動員も開始されております」
その言葉で、僕の心に再び熱い炎が灯った。
僕たちは、孤独ではなかった。
「よし、向かうぞ! スカルディアへ!」
ゲオルグが用意してくれた、質素だが、温かい朝食を、ほどほどに腹に入れる。僕たちは、ゼルガノスが一夜にして再結成した、かつての傭兵団と出立する。そして、なぜか新しい品種のカブの研究が、スカルディアの気候に向いていると言い張るゲオルグも連れて、再び北へと向かった。
朝日が、北の広大な大地を、鮮やかな赤色に染め上げていた。それは、僕たちの、反撃の狼煙のようにも見えた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




