第20話 皇帝の誤算
【ユリアン皇帝視点】
『アヴァロン帝国歴157年 11月15日 夜 雨』
帝都フェルグラントは、冷たい秋の雨に濡れていた。そして我が執務室の机の上には、帝国南部諸侯からの、雨で濡れた涙のような陳情書が山積みとなっていた。
「記録的な麦の不作により、領民は飢え、暴動寸前にございます」
「このままでは、冬を越すことすらままなりません。何卒、陛下のご慈悲を……」
(たかが天候ごときで、我が盤石なる帝国が揺らぐとは……忌々しい!)
我は、こみ上げる苛立ちに、羊皮紙を強く握りしめた。備蓄していた食料を放出しても、焼け石に水。このままでは、帝国の根幹が揺らぎかねない。
その時、諜報部からの報告が、我が脳裏をよぎった。
『――辺境伯ハーグ及び北方領にて、ポテト、コーンと称する新大陸の作物が、記録的な大豊作とのこと。民は、冬を越すには十分すぎるほどの食料を確保した模様』
(……あの男か)
そうだ。我が気まぐれに与えたあの作物が、今や帝国の食糧危機を救う、唯一の希望の綱となっている。なんという皮肉だ。
(待てよ……。あの男、ライル……まさか、この状況を読んでいたとでもいうのか? 我が帝国が食糧難に陥ることを見越し、ポテトとコーンを独占。そして、それを武器に、我からさらなる富と技術を引き出そうという魂胆か……!?)
そう考えると、すべての辻褄が合う。ただの幸運な若造ではない。奴は、先の先を読む、底知れぬ戦略家だ。
(……よかろう。ならば、その土俵に乗ってやる)
我はプライドを飲み込み、辺境伯ライル・フォン・ハーグを、三度、帝都へ丁重に召喚した。
いつもの饗宴の間。だが、今宵の我の心は、冷たい雨のように湿っていた。やがて、ライルが、あの女騎士ヴァレリアと、元ドラガル公の息女ヒルデを伴って現れた。
「ライルよ、よく来たな。さあ、まずは一杯やろうではないか」
我は努めて平静を装い、宴を始めた。当たり障りのない会話を交わした後、南部の不作について、溜息まじりに切り出した。
「……南の方では、どうも天候に恵まれなかったらしくてな。民が腹を空かせているそうだ」
「ああ、ユーディルから聞きましたよ。大変ですよねえ」
ライルは、まるで他人事のように、肉を頬張りながら答えた。その態度が、我の深読みをさらに加速させる。
(やはり、知っていたな……!)
我は、意を決して本題に入った。
「そこで、だ、ライルよ。お前のところで穫れたという、あのポテトとコーン。あれを、この帝国のために融通してはくれんか?」
頼む、という姿勢を隠さずに。
するとライルは、あっけらかんとした顔で、こう言った。
「ポテトとコーンを分けてほしいの? うん、あれはもともと皇帝陛下がくれた作物だから、皇帝には分けてあげてもいいですよ。でも、そのかわり……」
来たか。
ライルは、にこりと笑って続けた。
「なんか、新しい作物、ほしいなあ」
(ぐっ……! やはり、すべて計算ずく! この状況下で、我に新たな見返りを要求してくるとは! これは、認識を根本から改める必要がある。奴は、もはや辺境伯ではない。対等に渡り合うべき、一国の王だ!)
我は、目の前の青年を「交渉相手」として認識し、新たな取引を持ち掛けた。
「……わかった。よかろう。ならば、この宴でも出している『タバコ』の苗と、その栽培法をやろう。それから、新たに『大豆』という豆もくれてやる。これは、絞れば油になり、そのまま食べれば肉にも劣らぬ栄養価を持つ、万能の作物だ。……これで、どうだ? すまぬが、金貨は南部の救済で、今ちと厳しい」
我は、帝国の財政状況まで明かし、譲歩の姿勢を見せた。
するとライルは、我の予想をまたしても裏切る、軽い返事をした。
「うーん、金貨は厳しいの? わかったよ。じゃあ、今回の食料の分は『貸し』ってことにしておくね! その大豆ってのとタバコは、ありがたくもらっていくよ!」
交渉は、成立した。あまりにも、あっさりと。
(『貸し』……だと……? この我に、恩ではなく『貸し』を作った、と……? なんという男だ……!)
宴が続く中、我が心は晴れなかった。
大砲のかわりに、ポテトとコーンを持っていかれた。
今度は、ポテトとコーンのかわりに、タバコと大豆を持っていかれた。
(なんだ、これは……? どんどん、我が帝国の富と技術が、あの辺境の地に吸い取られているような気がするのは、我だけであろうか……?)
宴を楽しむライルたちの無邪気な笑顔を眺めながら、我は一人、複雑な表情で杯を傾けるしかなかった。
帝都に降る雨の空気が、宮殿まで流れてきているようだった。
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