第195話 電信してみたよ ええええ~っ、ちょっとトンツーしただけなのに、これってどういう事~っ!?
【フェリクス視点】
『アヴァロン帝国歴176年 1月10日 昼 雪』
白亜の館の、僕の部屋の窓から見える景色は、真っ白な雪に覆われていた。暖炉の火がぱちぱちと静かにはぜる音を聞きながら、僕は分厚い冒険小説のページをめくっていた。主人公が未知の遺跡で巨大な怪物と戦う、手に汗握る場面だ。
そんな穏やかな時間を切り裂くように、階下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「フェリクス様! フェリクス皇太子殿下!」
侍従の切羽詰まった声に、僕はしおりを挟んで本を閉じた。何事だろう。ドアを開けると、息を切らした伝令の兵士が、カチコチに固まった敬礼をしていた。
「皇宮より、緊急の御召でございます! 至急、ご出仕いただきたく!」
緊急? 僕に?
首を傾げながらも、急いで身支度を整え、馬車に乗り込んだ。窓の外では、雪がますます勢いを増している。帝都ハーグの街並みが、白いベールの向こうに霞んで見えた。
皇宮の、リアン皇帝陛下の私室に通されると、そこには、僕が予想した通りの三人が、テーブルを囲んで座っていた。
僕の父さん、ライル・フォン・ハーグ。
帝国の宰相、オルデンブルク公爵。
そして、若き皇帝陛下、リアン・フォン・アヴァロン。
三人は、僕の顔を見るなり、わずかに安堵したような、それでいて、やはり難しい表情を崩さなかった。部屋の空気は、外の雪景色と同じくらい、冷たくて重い。
「やあ、フェリクス。急に呼び出してすまないね」
父さんが、いつもの穏やかな口調で言った。でも、その笑顔は、どこかこわばっているように見えた。
「ううん、大丈夫だよ。でも、どうしたの? みんな、すごく深刻な顔をしてるけど」
僕が尋ねると、オルデンブルク宰相が、重々しく口を開いた。
「殿下には、まず、この度のランベール侯爵の訃報、心よりお悔やみ申し上げます」
「……ありがとう、ございます」
おじい様のランベール侯爵。厳格な人だったけれど、僕にはいつも優しかった。その死はもちろん悲しい。母さんの落ち込んだ姿を見るのは、もっとつらかった。
「実は、その後継者である、オーギュスト新侯爵の件で、少々、厄介な事態となっておりましてな」
宰相は、僕たちの弔問の申し出が、丁重に、しかし、はっきりと断られたことを説明してくれた。そして、それに追い打ちをかけるように、ランベール領で発見された、巨大な石炭鉱脈の話も。
「石炭は、今後の帝国の発展に不可欠。しかし、この状況で下手に交渉すれば、南部の貴族たちをまとめ、帝国に反旗を翻す危険性すらあるのです」
リアン皇帝が、苦渋に満ちた声で付け加える。
なるほど。それで、父さんを特使に、という話になったけど、皇帝陛下たちが止めて、代わりに僕が選ばれた、と。
話はわかった。わかったけど……。
(いきなり、そんな大事なこと、僕にできるのかな……)
不安が胸をよぎる。僕は父さんのように、投げた槍を的に当てることなんてできない。
「う~ん、それで、いまは新侯爵とは、電報でやりとりしているんだよね?」
僕が、まず気になったことを聞くと、父さんが頷いた。
「ああ、そうだ。弔問の件は、電報で断りの返事が来たきりだ」
「じゃあさ、直接行く前に、もう一度、電報で聞いてみたらどうかな? ほら、外、すごく寒いし」
僕がそう言うと、深刻な顔をしていた大人たちが、一瞬、ぽかんとした顔で僕を見た。
リアン皇帝が、ふっ、と小さく噴き出し、やがて、その表情が和らいだ。
「ふむ。『寒いから』、か。確かに、それも一理あるな。よし、そういう事なら、電信室へ行こう。朕も、直接見てみたい」
皇帝陛下の鶴の一声で、僕たちは、ぞろぞろと皇宮の一角にある電信室へと向かうことになった。
◇◆◇
電信室は、最新の機械が放つ独特の油の匂いと、微かな電気の音に満ちていた。壁際には、複雑な配線につながった、いくつかの機械が並んでいる。
僕には、ささやかな特技があった。
モールス信号、いわゆる『トンツー』ができるのである。
(ここで読者向けに、モールス信号の説明をしよう)
モールス信号、正式には電信符号というのは、ごく最近になって帝国に導入された、最新の通信技術だ。短い点『トン』と長い線『ツー』の二つの信号の組み合わせだけで、アルファベットや数字、記号を表現することができる。
この信号を電気に乗せて、遠く離れた場所へ、一瞬で送る。これが電信だ。
それまでの通信手段といえば、手紙しかなかった。馬を飛ばしても、帝都から南のランベール領まで届けば、何日もかかってしまう。それが、この『トンツー』を使えば、ほんの数秒で届いてしまうのだ。まさに、魔法のような技術だった。
でも、この技術はあまりに新しすぎて、使いこなせる人間が、まだほとんどいなかった。特に、父さんや宰相のような、いわゆる年配の人たちには、点と線の組み合わせなんて、暗号にしか見えないらしかった。
そういう僕も、技術に詳しいレオ兄さんから、面白半分でちょっと習っただけなんだけど。
「それじゃ、送りますよ~」
僕は、電信機のキーに指を置くと、担当の技官に、相手のランベール領に繋ぐように言った。
さて、なんて送ろうかな。難しい言葉は、きっと、相手も構えちゃう。
「ええっと、『ぼくフェリクス。なんで石炭売ってくれないの?』っと」
僕は、考えたままの、子供っぽい文章を口にした。宰相が、少し眉をひそめた気がしたけど、父さんとリアン皇帝は、面白そうに頷いている。
ト・ツー・ト・ト ツー・ツー・ツー ト・ト・ト・ツー ツー・ト・ツー・ツー……
僕は、流れるようにキーを叩いた。軽快な打鍵音が、静かな電信室に響き渡る。まるで、楽器を演奏しているみたいで、少し楽しい。
一通り打ち終えると、僕はキーから指を離した。あとは、相手の出方を待つだけだ。
「しかし、返信は、すぐには来ないものですな」
十分ほど経った頃、オルデンブルク宰相が、じれたように言った。
「これは、ただ単に届くのが早い手紙ってだけだよ。いま、向こうでも、オーギュスト侯爵が、返事をどうするか、みんなで考えている頃だと思うんだ」
僕がそう言うと、皆が感心していた。侍従が運んできた、温かいコーヒーを飲みながら、壁の時計の針が、カチ、カチ、と進むのを、ただ黙って見つめていた。
それから、さらに二十分ほどが過ぎた頃だった。
沈黙を破って、電信機が、カタカタと乾いた音を立て始めた。
「きたよ、返信だ!」
僕は、送られてくる信号に耳を澄ませ、その意味を頭の中で組み立てていく。
「読み上げるよ。なになに? ……『こちらオーギュスト、そちらが列車とかライフルとか水道とか電気とか独占しているのが悪い!』……だってさ!」
僕が読み上げると、部屋に、なんとも言えない空気が流れた。
最初に口を開いたのは、リアン皇帝だった。
「のう、ライル殿。これって、もしかして、すねてるだけではないのかの?」
「どうも、そのようですねえ……」
父さんが、困ったように笑いながら答える。なんだか、思っていたよりも、ずっと人間らしいというか、子供っぽい人みたいだ。
「ねえ、返事してみていい?」
僕が言うと、リアン皇帝が興味深そうに身を乗り出した。
「なんと送る?」
「そうだなあ……。『何が望みだ? 言ってごらん。フェリクス』。……これで、どうかな?」
少しだけ、挑発するような感じで。
「よし、それで送ってみよ」
皇帝陛下の許可が出た。僕は、再びキーを叩く。
トントントン、ツーツーツー……
それからまた三十分ほど、今度は、どこからか紅茶と美味しそうなケーキまで運ばれてきて、僕たちは、それを食べながら返信を待った。なんだか、ピクニックみたいだ。
カタカタカタ!
再び、電信機が鳴った。
「来たよ! 返信だ。なになに。『石炭を売った金で技術者を雇い、南方でも新しい技術を開発する。オーギュスト』。だそうです」
今度の返信は、さっきとは打って変わって、とても真面目な内容だった。
リアン皇帝が、ほう、と感心したように頷く。
「ふむ。考えていることは、至極まともだの。自分の領地を、自分の力で発展させたい、と。そういうことか」
「ちょっと電報を打つだけ、という発想が、私どもにはありませんでしたね……。若い人の技術には、もう、ついていけません。ははっ!」
父さんが、自嘲気味に笑うと、オルデンブルク宰相も、深く頷いた。
「まったく、そうですのう。我らは、頭が固くなりすぎているのかもしれませぬな」
なんだか、大人たちが、しんみりしてしまった。僕は、空気を変えようと、次の提案をする。
「ねえ、もう一回、返信していい? 『一度そっちへ行くよ』と打ちたいんだけど、どうかな?」
これ以上、電報で話していても、埒が明かないだろう。
「まあ、無難なところであろうな」
「うん、いいと思うよ」
「異論はござらん」
三人の許可が、すぐに出た。
「じゃ、送るね~」
トントントン、ツーツーツー……。
それからまた紅茶を一口飲んだ。すると、今度は、ほんの数分で、すぐに返信が来た。まるで、向こうで待ち構えていたみたいだ。
「返信きたよ、早い! なになに? ……『今は寒い。春にフェリクス一人で来られたし』。だってさ」
その言葉に、部屋にいた全員の顔が、ぱっと明るくなった。
「おお! とりあえず、一歩前進したな……!」
リアン皇帝が、嬉しそうに手を打つ。
「そのようですね。まずは、会って話す約束ができた。大きな成果です」
父さんも、安堵の息を漏らした。
その時、ずっと黙って考え込んでいたオルデンブルク宰相が、ポンと手を打った。
「陛下、一つ、ご提案がございますぞ」
「ほほう、宰相。聞こうではないか」
「この際、フェリクス皇太子殿下に、新しい役職を与えてみては、いかがでしょう?」
役職? 僕に?
「ズバリ、『通信大臣』です」
「おおっ! それは良いな!」
リアン皇帝が、宰相の言葉に、満面の笑みで同意した。
「我々では、このような新しい通信技術のことは、さっぱり分からんからな! 専門の大臣がいれば、これからの帝国運営に、大いに役立つであろう!」
え。
え?
いま、なんて言った?
通信……大臣?
「えっ、ええええええええーーーっ!? い、いきなり大臣です、か!?」
僕の、情けない悲鳴が、最新技術の粋を集めた電信室に、むなしく響き渡った。
冒険小説の主人公は、こんな時、どうするんだろう。きっと、こんなに驚いたりは、しないんだろうな……。
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