表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化作業中】投げたら刺さった~ラッキーヒットで領主になった僕の成り上がり英雄譚~  作者: 塩野さち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

191/279

第191話 水道整備計画 フェリクス案 スース再開発編

【フェリクス視点】


『アヴァロン帝国歴175年 6月20日 朝 スース旧役所 執務室』


 埃と、古い紙の匂いがする執務室。その扉が、ぎしり、と重い音を立てて開いた。僕の一日は、いつもこの音と共に始まる。


「総督様、ノクシア様がお見えです」


「ああ、お招きしてある。こちらへお通ししてくれ」


 部下の言葉に、僕は山と積まれた書類から顔を上げた。

 ほんの数日前まで、僕はこの街のカジノで、黒いスーツを着てカクテルを振っていた。まさか、あのままバーテンダーとして一生を終えるのかと、一瞬だけ本気で考えた。いや、それも悪くはなかったかもしれない。だが、とにかく今、僕はスース暫定総督。この街の未来を、この手で切り拓かねばならない。


 やがて、部屋に入ってきたのは、小柄だが、その存在だけで部屋の空気を支配する、年齢不詳の妖艶な美女。だが、その紫色の瞳は底知れぬほど鋭く、背後に立つどんな屈強な護衛よりも、強い圧を放っている。

 この人こそ、スースの闇を、いや、この街そのものを実質的に仕切る者。闇の教皇、ノクシア様。


 僕は立ち上がって深く一礼し、彼女に数枚の資料を差し出した。まあ、一緒に暮らしていた人だけど礼儀は一応ね。


「こちらが、先日お話しした水道整備計画の最終案です。どうか、ご覧ください」


「ふむ……。また、小難しい図面じゃのう。して、これは一体何じゃ?」


「はい。この市街地の地下には、旧帝国時代に使われていた古い水路が、ほぼ完全な形で残されています。幸いにも水源はまだ生きており、これを修復し再利用できれば、街の中心に、巨大な給水拠点を復活させることができるはずです」


「水源、か。……つまり、使いようによっては、武器にもなる代物じゃな」


「ええ。ですが、それは誰が、どう管理するかにかかっているかと」


 ノクシア様は、じろりと俺の目を見据えたが、すぐに、ふっと小さく笑った。


「面白い。では聞こう。なぜ貴様は、水道などという、目にも見えぬ地味な仕事に、ここまで力を入れる? もっと派手なやり方で、民の歓心を買うこともできようものを」


「――信用が、欲しいんです」


 僕は、まっすぐ彼女の瞳を見つめ返した。


「王の命令で総督を任されたと言っても、僕はこの街の者たちにとっては、ただのよそ者です。総督の椅子に、物見遊山の観光客が座っているようなもの。けれど、蛇口をひねれば、いつでも綺麗な水が出る。ただそれだけで、この街は変わったと、誰もが実感できるはずです」


「見えぬ仕事、ゆえに、その効果は誰の目にも見える、か。なるほど、の」


 ノクシア様は鼻を鳴らし、机に肘をついた。


「闇の側から言わせてもらえば、水の諍いは、常に血生臭い火種になる。汚れた水を巡って殺し合いが起きれば、死人の始末と証拠隠滅が、実に面倒での。……おぬしの言う『信用』は、我らにとっても、都合がいい」


「ご協力、いただけますか?」


「よかろう。ただし――」


 ノクシア様はぴたりと言葉を止め、その紫の瞳で、僕の覚悟を試すように、言った。


「――公共の蛇口の横に、賽銭箱をつけよ」


「賽銭箱、ですか?」


「うむ。ただで水を与えては、人はすぐに水の価値を忘れる。じゃが、たとえ銅貨一枚でも、わずかな対価を払わせれば、それは自分で手に入れた、価値あるものになる。民へのもてなしと、ただの施しの差を、よく弁えておけ」


「……心得ました」


 この一言で、計画は承認された。あとは、動くだけだ。

 僕は席を立ち、壁に貼っておいた大きな地図を掲げた。


「ありがとうございます。まずは、三系統に分けて配管工事を進めます。歓楽街、スラム、そして工業地区。それぞれ水の需要が異なるので、管の太さと水圧も細かく調整します」


「人手は、足りるのか?」


「……はい。すでに一人、うってつけの男に、目処が立っています」


 僕は、部屋の隅で控えていた青年を手招きした。


「失礼します、総督様ぁ! ゴードン、で、ございます!」


 小走りでやってきたのは、先日まで僕を拉致監禁していた張本人、チンピラのゴードンだった。


「えっへへへ、いやぁ、こないだのことで、ちいと頭を冷やしまして……。あの、もし良ければ、俺にも何か仕事ください! 水道管の一本でも運ばせてもらえやせんかね!」


 その必死な様子に、ノクシア様は、にやりと口の端を歪めた。


「ふむ、良き更生じゃな。フェリクスや、使ってやれい。手は、多いほうがよい」


「ええ……まあ……」


(本当に、大丈夫かなあ……)



『アヴァロン帝国歴175年 6月25日 スース市街地・歓楽街裏通り』


 それから数日後、街は男たちの汗の匂いに満ちていた。

 ツルハシとシャベル、そしてむさ苦しい男たちが、地面を掘り返していく。


「おーい、兄ちゃん! その配管、逆向きだぞ!」

「すんません! すぐ直します!」


 ゴードンは、泥まみれになりながらも、意外なほど真面目に現場で役に立っていた。

 酒場の姉ちゃんたちが、工事の様子を見かねて手伝いに来てくれ、配水栓の設置場所を、主婦目線で的確に決めていく。スラムの子供たちは、掘られた穴の中を覗き込み、泥をかぶっては、きゃっきゃっと喜んでいた。


 そして、ついにその時が来た。

 僕は、旧役所に設置したポンプの新しいハンドルを、力の限り回した。


 ゴゴゴ、と、大地がうめくような音がして、街に設置されたばかりの蛇口から、勢いよく、綺麗な水がほとばしった。


「――水、通ったな」


 ただ、それだけのことなのに、どこからともなく、わっと拍手が起きた。

 じん、ときた。誰かに、何かを与える。そんな、当たり前の実感が、ほんのわずかに、僕の胸に温かいものを残した。



『半年後 夜 スース旧役所・会議室』


 ノクシア様と、街の代表たちが集まる中、僕は、誇らしげに宣言した。


「本日より、スース歓楽街、居住区、工業区への、安定した水道供給を、正式に開始します」


「うちの宿、蛇口から綺麗な水が出るって噂が広まっただけで、もう予約でいっぱいだよ!」

「おかげで、うちの蒸留所の冷却効率が、二割も上がったぞ!」


「おぬしのやったことは、表の世界にも、闇の世界にも、価値がある」


 ノクシア様の言葉に、会議室が静かになった。


「この街には、まだ清き水が流れる余地がある。汚れたものだけが、この街の居場所ではない。スースに生きるすべての人が、その命を、安心して潤せるように──」


 僕は、静かに言った。


「これは、始まりにすぎません。次は、電気か、医療か。少しずつ、でも確実に。この街を、父たちが暮らす、あっち側へ戻すんです」


 ノクシア様は、まるで、僕の覚悟を試すように、まっすぐに見つめてきた。


「ならば、問おう、フェリクスや。おぬしは、やがて、その光の中へ、自ら入ってゆく覚悟があるか?」


 僕は、しばらく考えて、こう答えた。


「……でも、その前に、一杯だけ、いただいてもいいですか?」


「酒か?」


「いいえ、水です。……この街に流れている、冷たい、清らかな水を」


「とても面白い」★四つか五つを押してね!

「普通かなぁ?」★三つを押してね!

「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ