第190話 闇の中から見つめる目 部外者への洗礼 客として来る分にはいいんだが……
【闇ギルド構成員ゴードン視点】
『アヴァロン帝国歴175年 6月7日 昼 スース旧役所』
「ひっひいいいっ!」
闇の中に、情けない悲鳴が響き渡った。
俺は、旧役所の、埃っぽい闇の中で、その光景を静かに見つめていた。床に腰を抜かしてへたり込んでいる、ひょろりとした兄ちゃん。上等な服を着ているが、その顔は恐怖で真っ青だ。護衛の連中は、俺の部下が、とっくに捕まえている。
(ククク……。物見遊山で、このスースに足を踏み入れるから、こうなる。ここは、お坊ちゃんが遊びに来る場所じゃねえんだ)
俺は、ゆっくりと、闇の中から姿を現した。
「兄ちゃん、酒でも飲んで、女でも抱いて、さっさと自分の巣へ帰りな。ここは、そういう街だ」
「きっ、君は、誰なんだい?」
震える声で、兄ちゃんが尋ねる。
「ゴードンとでも、呼んでもらおうか」
俺が名乗ると、兄ちゃんは、なぜか少しだけ勇気を奮い起こしたようだった。
「僕は、ライル王に命じられて、スースの総督に、なりにきたんだ!」
その、あまりに場違いな言葉に、俺の後ろに控えていた手下どもが、げらげらと下品な笑い声を上げた。
「お頭、こいつ、例の新聞に載っていたヤツですよ」
「ああ、あの、人身売買に関与した疑惑の、王様の息子ですぜ」
「ああ、そうか……」
俺は、目の前の兄ちゃんを、改めて見直した。
なるほど、ただの世間知らずのお坊ちゃんじゃねえ。俺たちと同じ、法の外側を歩く、こっち側の人間だったか。
「……お前、こっち側の人間だったんだな」
「ゴードンの頭、もしかしたらコイツ何かに使えませんかね?」
弱そうな見た目。だが新聞に載るほどの大犯罪者。人は見かけによらない。その程度は分かっていた。これは使えるかもしれねぇ……。
「なるほど、気に入った。よし、お前を、俺たち闇ギルドへ入れてやる」
「えっ? あっ、その? はい……」
兄ちゃんは、何が何だか分からないという顔で、ただ、こくこくと頷いていた。
それから、こいつは、その整った容姿が決め手となって、俺が仕切っているカジノに配属されることになった。
「おい、兄ちゃん。お前、カクテルは作れるか?」
「はい、父がよく作っていました! 見よう見まねでよければ、なんとか!」
「よし、上出来だ。お前は、今日から、カジノのバーでカクテルを作れ」
黒いスーツに着替えさせられた兄ちゃんは、意外にも、すぐにその場に馴染んでいた。
「アハハハ、大当たりよ、大当たり! お兄ちゃん、景気づけに、何か作ってくれないかしら?」
「はい、かしこまりました」
兄ちゃんは、金箔をあしらった、新大陸産の高級マンゴーの絞りたてジュースをベースに、リンゴを隠し味に入れ、透明なラム酒を数滴たらす。そして、シェイカーを、実に様になった手つきで振り始めた。
『シャカシャカシャカ』
「お待たせいたしました。お客様の金運が、さらに上がるようなカクテル、『ゴールデンサンセット』でございます」
「まあ、気がきくわね、オホホホホ!」
「チッ、クソっ、またすっちまったぜ。おい、兄ちゃん。俺にも、金運を上げるようなやつを頼む」
『シャカシャカシャカ』
「はい、ゴールデンサンセットでいかがでしょうか?」
兄ちゃんは、また同じカクテルを作り始めた。
「適当に仕事しているようだけど、ここの客は、みんな金運の酒ばかり頼むから、これ一本で、どうにかなるんだよね……」
兄ちゃんが小さくぼやきながら、グラスを磨く。
その時、バーカウンターの前に、一つの小さな影が現れた。
「ほう。それでは、妾も一つ、いただこうかの」
その声を聞いた瞬間、兄ちゃんの顔が、ぱっと輝いた。
「あれ? ノクシアさんじゃないですか!」
「ほらっ、お母さん! ホントに、フェリクスくん、居たでしょ! ユーディルさんからの手紙の通りだよ!」
「あっ、アウロラちゃんじゃないか! 久しぶり!」
ノクシア様と、その娘君であらせられるアウロラ姫がなぜか現れた。
(や、闇の教皇様がどうして!?)
「とりあえず、フェリクスや。バーテンダーごっこは、もう良いから、ついて来るのじゃ」
ノクシア様は、有無を言わせぬ口調でそう言うと、兄ちゃんの手を引いて、カジノから出ていってしまった。
俺は、慌てて、その後を追った。
そして、連れてこられたのは、あの、スースの旧役所。
中は、相変わらず、真っ暗だった。
だが、その闇の奥で、何かが、うめき声を上げている。
ランタンの灯りが照らし出したのは、無様に転がされ、ボロボロにされた、俺の部下たちの姿だった。
そして、俺もタダで済むはずがなく……。
「ぐはっ!」
闇からの一撃が、腹に入る。
俺もあっという間に、縛り上げられてしまった。
(……しまった。しくじったか)
闇の奥から、ノクシア様の氷のように冷たい声が響き渡った。
「ゴードンよ。この者を、誰だと心得る?」
「へ、へい……。ヴィンターグリュン王国の、皇太子様、で……」
「分かっておるなら、よい。……表の世界の人間には、手を出すな。客として来る分には、もてなせ。……ユーディルから、そう、教わらなかったか? それに、このフェリクスは妾の旦那の息子じゃぞ? 腹は違うがの」
「は、はひ……」
俺も元はというと外から流れてきた人間だ。
この街での洗礼は、どうやら、まだ終わってはいなかったらしい。
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