第19話 麦が不作? それならポテトとコーンを食べるといいんじゃないかな?
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴157年 10月5日 昼 快晴』
ハーグの秋は、黄金色に輝いていた。
僕たちの挑戦は、想像を遥かに超える大成功を収めた。ゲオルグさんの指導のもと、丘陵地帯の畑では、地面を掘り返すたびに一つの芋から十も二十もの『大地のリンゴ』、ポテトがゴロゴロと姿を現した。川沿いの畑には、人の背丈よりも高く育った『太陽の穂』、コーンが黄金色の実をぎっしりとつけ、収穫を待っていた。
街は、今、収穫祭の喜びに沸いている。
広場の中央にはいくつもの焚き火が焚かれ、大きな鍋で茹でられるポテトの湯気が立ち上る。網の上では、醤油に似た闇ギルド特製のタレを塗られた焼きトウモロコシが、香ばしい匂いをあたりに振りまいていた。
「うめえ! こんなに甘くてホクホクした芋は、生まれて初めてだ!」
「この焼きトウモロコシとかいうやつ、いくらでも食えるぞ! エールが進むぜ!」
住民も傭兵も、北方の民も、誰もが初めて口にする作物の味に驚き、満面の笑みを浮かべていた。飢えの記憶がまだ新しい北方の民たちは、涙を流してポテトを頬張っている。その光景を見ているだけで、僕の胸は温かいもので満たされていった。
その夜、執務室兼食堂のテーブルにも、ポテトとコーンをふんだんに使った料理が並んだ。
アシュレイが作った「ポテトのハーブ風味炒め」、ヒルデとフリズカが故郷の味を再現した「北方の肉とポテトの煮込みシチュー」、そしてヴァレリアが「栄養バランスが第一です」と言って作った「茹でトウモロコシと野菜のサラダ」。どれも、素朴だが、心のこもった味がした。
(ああ、皇帝陛下に感謝しないとな。本当に、植えてよかった……)
みんなの笑顔を見ながら、僕は心からそう思った。
そんな和やかな宴の最中、ユーディルが静かに僕のそばに近づき、声を潜めて言った。
「ライル様、少々よろしいでしょうか。急ぎ、ご報告したいことが」
ユーディルに促され、僕は宴席を離れて隣の執務室へと向かった。ヴァレリアも、ただならぬ気配を感じ取ったのか、僕たちの後についてくる。
ユーディルは、机の上に一枚の大きな地図を広げた。
「闇ギルドの情報網が、不穏な動きを捉えました。我らがハーグで豊作に沸いている一方、帝国南部、そして国境を接するいくつかの小王国では、この夏の長雨と秋の日照り不足により、麦が記録的な不作に見舞われているとの情報です」
地図の上には、いくつかの国や地域が赤い印で示されている。
「すでに多くの領地で食料価格が高騰し、民の間では不満が高まっているとのこと。冬を前に、餓死者も出始めております」
「……なんですって?」
ヴァレリアが、厳しい表情で呟いた。
「冬を前にした食料不足は、暴動や戦争の最も大きな火種となりかねません。これは、看過できない事態ですな……」
二人の深刻な報告を聞きながら、僕は腕を組んで考え込んでいた。外からは、まだ収穫祭の楽しげな声が聞こえてくる。僕たちの街は、食べ物で溢れている。でも、すぐ隣の国では、たくさんの人がお腹を空かせている。
重い沈黙が流れる中、僕は、またしても、思ったことをそのまま口にしていた。
「うーん……みんな、麦がなくて、お腹が空いてて困ってるんだよね?」
僕がそう言うと、ユーディルとヴァレリアの視線が、僕に集まった。
「だったらさ、僕たちのところで穫れた、このポテトとコーンを、みんなに食べさせてあげればいいんじゃないかな?」
「……」
「……閣下?」
二人が、絶句している。
「え、いや、だから……。もちろん、タダであげるのは、こっちも大変だからさ。本当に困ってる難民の人たちには少し分けてあげて、ちゃんとした国とか、お金がある貴族の人たちには、『商品』として売ればいいんじゃないかなって。僕たち、商人じゃないけど」
僕のその言葉に、ユーディルが初めて、漆黒のローブの奥で、その口元をはっきりと歪めた。それは、間違いなく笑みだった。
「……なるほど。武器や闇の産物ではなく、『食料』で市場を支配し、他国をコントロールする、と。ライル様、貴方様は、時折、心底恐ろしいことを、さも当たり前のように考えられますな」
「食を制する者は、世界を制す……か。とんでもない王に仕えてしまったのかもしれませんね、私は」
ヴァレリアが、呆れたように、しかしどこか感心したように、深いため息をついた。
(え? 僕、また何か変なこと言ったかな?)
二人の反応の意味がよくわからないまま、僕は窓の外に広がる収穫祭の喧騒に目をやった。その向こうには、飢えに苦しむ周辺国の姿と、このハーグの畑で穫れたポテトとコーンが、とてつもない『力』になるかもしれないという、巨大な可能性が広がっているような気がした。
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