第185話 罰金と公職停止 ええ~っ! これって人身売買禁止法に引っかかるやつなの~?
【ノーラ視点】
『アヴァロン帝国歴175年 3月3日 夜』
ガタン、ゴトン……。
鉄の道を進む音は、オラにとって世界で一番心地いい子守唄だ。でも、今夜はなんだか、全然眠れそうになかった。
だって、列車の中には、ふかふかのベッドまで用意されていたんだ! 村の、干し草を詰めただけのベッドとは全然違う。体を沈めると、まるで綿菓子の中に埋もれていくみたいに、どこまでも柔らかい。
オラは、嬉しくて、楽しくて、誰も見ていないのをいいことに、ベッドの上で何度もゴロゴロと転がった。
部屋の扉が、コンコン、と優しく叩かれた。フェリクスさんだった。
「そろそろ休むといい。明日には、ハーグに着くからね。おやすみ」
彼はそう言うと、部屋から出ていこうとした。オラは、思わず、口が滑っちゃったんだ。
「フェリクスさんも、ここに泊まれば?」
言った後で、顔がカッと熱くなる。なんて、はしたないことを言っちゃったんだべ!
でも、フェリクスさんは怒ったりしないで、あっはっは、と楽しそうに笑った。
「ははっ、ありがとう。でも、さすがにレディと同じ部屋では眠れないよ。それじゃあ、また明日」
(……れ、レディ……?)
今、オラのこと、レディって……。
泥んこで、おてんばで、村の男の子たちと取っ組み合いの喧嘩ばっかりしてた、このオラのこと……?
その一言が、夜中ずっと、頭の中をぐるぐると駆け巡った。はしたないとは思いながらも、フェリクスさんと、これから始まるハーグでの暮らしを想像してしまって、心臓がドキドキして、ちっとも眠れなかった。
『アヴァロン帝国歴175年 3月4日 夕刻』
次の日、列車はついにお日様が西に傾き始めた頃、ハーグの駅に着いただ!
窓の外を見た瞬間、オラはあんぐりと口を開けたまま、固まっちゃった。
「す……すごい……」
駅が、村みたいに大きい! 鉄の道が何本も何本も並んでいて、色々な形の列車がたくさん止まっている。ホームを歩いている人も、村中の人を集めたって、全然足りないくらいたくさんいる。
列車を降りると、フェリクスさんが、オラの手を、そっと取ってくれた。
「ノーラちゃん、こっちのホームはまだ工事中であぶないからね。僕から、はぐれないようにしてね」
「わ、分かっただ……」
大きな、少しだけごつごつした手に引かれて、人混みの中を歩いていく。周りの人たちが、みんなオラたちのために道を開けてくれる。なんだか、本当にお姫様になった気分だべ! 思わず内心で「ぐふふ」なんて、はしたない笑いがこみ上げてきちゃった。
駅から出ると、今度は馬車が待っていた。この馬車がまたすごくて、村の荷馬車みたいにガタガタ揺れないんだ! 街もすごかった。建物が、空まで届きそうなくらい高い!
駅前のにぎやかな通りを抜け、少し落ち着いた雰囲気の区画へ入ると、お城みたいに真っ白で、大きくて、すごく綺麗な館の前に着いた。オラたちは、馬車のまま、その館の門をくぐっていく。
「ただいま~っ! 父さん、いる~?」
フェリクスさんが、元気な声で呼びかけると、館の扉から、人の良さそうなおじさんが出てきた。
「やあ、フェリクス。無事に戻ったみたいだね。……うん? その子が、君が見つけたという、例の天才少女かい?」
「は、はじめました! オラ……わ、私、ノーラって言います!」
緊張で、つい、いつもの言葉が出そうになっちゃった。この人が、フェリクスさんのお父さんの、ライルさんか。すごく、優しそうな人だ。
でも、その隣に立っている、銀色の髪をした綺麗な女の人は、なんだか、すごく怖かった。騎士団の副官みたいに、背筋がぴんとしてて、その翠色の目が、オラのことを見定めるみたいに、じっと見てくる。
「ヴァレリアです。よろしく、ノーラさん」
それから、オラは別の部屋へ行くように言われた。きっと、これから、オラを買った時のお金の話とか、難しい話をするんだ。そう思ったら、なんだか急に、悔しくなってきちゃった。
「待って! 私を買ったときの話をするんでしょ? それなら、屋根裏で、ぜーんぶ見てたから、知ってる!」
オラがそう言うと、フェリクスさんが「あちゃ~、見られていたか」と、困ったように頭を掻いた。
でも、ヴァレリアさんの反応は、全然違った。彼女の目が、さっきよりも、もっと、もっと鋭くなった。
「フェリクス。……あなた、『買った』とは、どういうことですか。まさかとは思うけれど、あなた、人身売買禁止法に引っかかるようなことをしたのではなくて?」
「ええ~っ!?」
フェリクスさんの顔が、さっと青ざめる。
「そ、そうか! これって、人身売買になるのか!」
「はぁ~、フェリクス、お前なあ……」
ライルさんが、この世の終わりのような深いため息をついた。
「なんとか、罰金とかで済むように、リアン皇帝やオルデンブルク宰相にかけあってみるけど、あまり期待はするなよ? これは、僕たちが話し合って決めた、帝国の新しい法律なんだから、簡単に曲げられないんだ」
その日の夜、オラは、お姫様みたいに豪華な客間のベッドで寝ることになったけど、全然寝付けなかった。オラのせいで、フェリクスさんが、悪いことをしたことになっちゃったんだ……。
次の日から、オラの、夢みたいな暮らしが始まった。
なんとびっくり、オラの部屋には、メイドさんっていう、お世話をしてくれる人がついてるんだべ! あっ、また「だべ」って言っちゃった。直さないと。
でも、不謹慎かもしれないけど、謹慎とかいうことになって、お城の外に出られなくなったフェリクスさんが、いつも近くにいてくれることが、オラは、すごく嬉しかった。
ただ、一つだけ、心配なことがあった。朝も、昼も、フェリクスさんは、全然ご飯を食べないんだ。食卓についても、ほんの少しサラダをつつくだけで、ずっと、難しそうな顔でため息ばかりついていた。
そして、その日の夕食の時。ライルさんとヴァレリアさんが、神妙な顔で帰ってきた。
「フェリクス、お前の処分が決まったぞ。三か月の公職停止と、その間の給与の全額没収だ。なんとか、牢屋に入れられずに済んだけど、色々な貴族に、大きな貸しを作ってしまったよ。とほほ……」
その言葉を聞いた瞬間、オラは、もう我慢できなかった。椅子から転がり落ちるようにして、床にひざまずいていた。
「ちがう! 悪いのは、欲をかいた、オラの父ちゃんだよ!」
涙が、ぽろぽろと溢れてきて、止まらない。
「フェリクスさんは、特待生だって、ちゃんと言ってたのに! オラを売るって言いだしたのは、お父ちゃんだ! それを黙って見てた、お母ちゃんだ! うわーん! もう、オラには、お父ちゃんもお母ちゃんも、いなくなっちゃった……」
泣きじゃくるオラの肩を、そっと、温かい手が包み込んだ。ヴァレリアさんだった。
「よしよし。泣かないで、ノーラ。……辛かったら、私のことを、母さんと呼んでもいいのですよ」
「じゃあ、僕は父さんだな! フェリクス、お前は兄さんだ! ……それとも、恋人、かな?」
ライルさんが、わざと茶化すようにそう言った。
その言葉に、オラの顔が、自分でもわかるくらい、かあっと、真っ赤になった。それを見たみんなが、どっと、温かい笑い声を上げた。
オラは、その時、思ったんだ。
オラは、売られたんじゃない。
きっと、この、温かい人たちに、新しい家族として、迎えられたんだって。
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