第180話 フェリクスの夢、レオの夢 えっ、いきなりリアン皇帝の新年パーティーとか聞いてないよぉ~!
【フェリクス視点】
『アヴァロン帝国歴174年 10月16日 昼 曇り』
たくさんの兄弟とその母親たちがハーグの駅を旅立っていった次の日。あれほど賑やかだった白亜の館は、まるで嘘のように静まり返っていた。いつも聞こえていたシグルドの勇ましい声も、ソフィアとジャスミンの楽しげな歌声も、もうどこにもない。がらんとした廊下を歩くだけで、胸にぽっかりと穴が空いたような、寂しさがこみ上げてくる。
僕は、庭の芝生に座り込み、一人でぼんやりと空を眺めている兄、レオの隣にそっと腰を下ろした。その横顔は、いつもみたいに自信に満ちているわけではなく、どこか遠くを見ているようだった。
「レオ兄さん。アシュレイ母さんの弟子になるって、本当かい?」
僕の問いに、兄さんはゆっくりとこちらを振り向いた。その瞳には、もう迷いはなかった。遠い目をしながらも、はっきりと頷く。
「ああ、俺はもう決めたんだ。母さんの弟子になる」
「どうして……? 兄さんは、父さんの跡を継いで、この国の王様になるんじゃなかったのかい? 長男なんだから……」
「王様か……」
兄さんはふっと自嘲するように笑うと、再び空を見上げた。
「なあフェリクス。父さんみたいな王様、俺になれると思うか? あの人は、ただそこにいるだけで、周りのみんなを幸せにしちまう、太陽みたいな人だ。あの人の周りには、いつだって、不思議な幸運と、人が集まってくる。俺には、そんな真似はできねえよ」
兄さんは、ごつごつとした自分の手のひらをじっと見つめていた。その手は、剣を握るためではなく、何かを創り出すためにあるのだと、言っているようだった。
「でもな、母さんの発明は違う。銃も鉄道も、それは誰が使っても同じように人の暮らしを、国を強くする力になる。運や人柄に左右されない、確かな『技術』だ。俺はそういう確かなものが作りたいんだ。父さんの国を、俺の作ったものでもっと強く、もっと豊かにしてやりたい。それが俺の夢なんだ」
その瞳には、僕の知らない強い光が宿っていた。それは、父さんとは違う、でも、確かに国を思う、熱い炎の色だった。僕にはもう、何も言えなかった。ただ、兄さんが、少しだけ遠い存在になってしまったような気がして、胸の奥がちくりと痛んだ。
それからレオ兄さんは宣言通り、アシュレイ母さんが所長を務める『アシュレイ工廠』の研究所にこもるようになった。毎日、油と鉄と、時々火薬の匂いをさせて帰ってきては、食事の時も難しい設計図を睨んでいる。僕たちの間に、少しだけ、見えない壁ができたような気がした。
『アヴァロン帝国歴175年 1月1日 朝 快晴』
この国では一月一日に、みんな一つ年をとる。
澄み切った冬の空気が、新しい年の始まりを告げていた。僕も、今日で十五歳になった。
朝食を終えて自室で本を読んでいると、ヴァレリア母さんとライル父さんが、いつになく真面目な顔で部屋に入ってきた。父さんの、あの気の抜けたような笑顔が、どこにもない。母さんも、いつもの騎士団長としての厳しい顔とは違う、一人の母親としての、真剣な眼差しをしていた。
「なあフェリクス。ヴィンターグリュンの皇太子に、ならないか?」
父さんの静かだが真剣な声。それは、命令ではなかった。問いかけだった。その瞳は僕の覚悟を試しているようだった。
(……そっか。レオ兄さんが自分の道を選んだから、今この国で父さんの跡を継げるのは僕しかいないんだ)
頭の中で、旅立っていった兄弟たちの顔が浮かぶ。シグルド、ソフィア、ジャスミン……。みんな、それぞれの国で、それぞれの役目を果たそうとしている。だったら、僕も。この国に残った、王の子として、僕がやるべきことを、やらないといけない。
僕はごくりと喉を鳴らし、まっすぐに父さんの目を見つめ返した。
「うん、あれだけ居た兄弟も僕しかいないからね。やるよ!」
僕の迷いのない返事に、父さんの肩から、ふっと力が抜けるのがわかった。そして、隣に立つヴァレリア母さんの厳しい顔が、誇らしげに、そして、これ以上ないほど優しく、緩んだ。
「……良い、返事です。それじゃあ、礼服に着替えましょうか。この前採寸した服で作らせておきました」
「えっ? どこか行くの?」
「リアン皇帝の新年を祝うパーティーに、お城へ行くのさ! 皇太子として、陛下の前に、お披露目だ!」
父さんが、いつもの悪戯っぽい笑顔で、にっと笑う。
「えっ、ええええええええっ!?」
皇太子になる覚悟は決めた。でも、心の準備が、全く追いつかない! 皇帝陛下の前に、今日、今から!?
あまりに突然のことに、心臓が口から飛び出しそうになった。
その時、小便をちびりそうになったのは、ここだけの、ナイショの話だ!
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