第175話 堕ちた茶の国
【マルコ・フォン・ブラント視点】
『アヴァロン帝国歴173年 1月5日 大暁帝国 沿岸部』
ゼナラ王国を出航し、さらに東へ。嵐や、未知の海流との戦いを乗り越え、私たちは、ついに伝説の『茶と絹の国』……広大な大暁帝国の沿岸部へと到達した。
だが、港に上陸した俺の目に飛び込んできたのは、想像していたような、活気と秩序に満ちた、豊かな国の姿ではなかった。
街は、どこか生気がない。道端には、痩せこけ虚ろな目をした人々が、まるで亡霊のように、座り込んでいる。彼らの手には、一様に長い煙管が握られていた。そして、その煙管から立ち上る煙は……あの、ゼナラ王国で嗅いだ、甘く、妖しい香りがした。
(……馬鹿な。この国は、あの毒に、蝕まれているというのか)
私は、愕然とした。
衛兵に案内され、大暁帝国の首都へと向かう。道中、目にする光景は、どこも同じだった。かつては、豊かな茶畑であったであろう丘は、荒れ果て、絹を織るための機織りの音も、どこからも聞こえてはこない。人々は、ただルフェンの甘い煙に、その身を委ねているだけ。
やがて、壮麗な宮殿へと通された俺は、この国の皇帝……堯暦帝と名乗る、年の頃は四十代ほどの男と、謁見した。
彼の顔は、深い、深い絶望に、色どられていた。
「……ようこそ、東の果てへ。探検家、マルコ殿」
その声は、力なく、か細かった。
「見ての通り、我が国は、今、緩やかな死の淵におる。全ては、あの、ゼナラの商人どもが持ち込んだ、悪魔の草のせいだ」
堯暦帝は、震える声で、全てを語ってくれた。
最初は、ほんの僅かな貴族たちの、嗜好品だったというルフェン。それが瞬く間に国中に蔓延した。茶を売って得た莫大な銀は、そのほとんどが、再び、ルフェンを買うために、ゼナラ王国へと、吸い上げられていった。
今や、兵士も、役人も、そして民も、その多くが、ルフェンの虜となり、国としての機能を、失いつつある、と。
「我らは、何度も、ルフェンの輸入を禁じようとした。じゃが、そのたびに、ゼナラの者どもは、交易の自由を盾に、我らの要求を、撥ね退けるのだ。『これは、偉大なるゼナラの、正当なる交易である』とな」
私は言葉を失った。交易の自由が、非道な商いのために利用されている。なんとも言えない皮肉であった。
「マルコ殿。貴殿の国の王は、顔が広いと聞いた。どうか、どうか、この惨状を、お伝え願えまいか。そして、この国を、悪魔の草の呪いから、救い出してはくれまいか……」
堯暦帝は、玉座から降りると、私の前に、深く、深く、頭を垂れた。一国の皇帝が、見ず知らずの探検家提督に、土下座をして、助けを乞うている。
私はそのあまりに悲痛な姿に、腹の底から、熱い怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「……承知、いたしました。このマルコ・フォン・ブラント、我が主君、ライル国王に、必ずや、この国の窮状を、お伝えすると、お約束いたします」
私は、堯暦帝の、震える手を取った。
この冒険は、もはや、ただの夢物語ではない。一つの国を、その民を、救うための、戦いになったのだ。
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