第171話 帰還、そして新たな旅立ちの予感【東方見聞録編 開幕】
【マルコ・フォン・ブラント視点】
『アヴァロン帝国歴171年 12月10日 快晴 アカツキの都』
ヴィンターグリュン王国の海外領土、アカツキの都。その総督として、私がこの地に赴任してから、早、五年以上の歳月が流れた。
かつての、血の儀式に支配されていた面影は、もうどこにもない。港は整備され、ヴィンターグリュン本国との定期船が、人や物資、そして新しい文化を絶え間なく運んでくる。街は活気に満ち、人々の顔には笑顔が溢れていた。
(……だが)
私は、総督の執務室から、眼下に広がる青い海を眺めていた。
この平和は、私が望んだものではなかった。安定した統治、増え続ける富。だが、私の魂は、未知なる世界への渇望を、片時も忘れてはいなかった。
(俺は、探検家だ。こんな、机仕事だけで、一生を終えるつもりはない)
そんな私の、燻る心を揺さぶるように、その日、港から、割れんばかりの歓声が上がった。
見張り台が、高らかに角笛を鳴り響かせる。アズトラン帝国の、黄金の太陽を掲げた巨大な艦隊が、長い外遊を終え、ついに、このアカツキの都へと帰還したのだ。
私は、慌てて港へと駆けつけた。
タラップが降ろされ、最初に降り立ったのは、数年の歳月を経て、さらに威厳と美しさを増した女帝、シトラリ陛下。そして、陛下を出迎えたのは、一人の少年だった。
アズトラン帝国の次期皇帝、マクシミリアン殿下。御年、十歳。
ずっと私が後見人として保護していたが、その間にも背が伸び、顔には母である女帝と、父であるあの規格外のライル王の面影が、確かに宿っていた。
「母上! ご無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます!」
少年は、母の胸へと飛び込んだ。シトラリ陛下は、その小さな体を、力強く、そして、愛おしそうに、抱きしめていた。
その光景を、私は少しだけ離れた場所から、眩しいものを見るように眺めていた。
そして決意を固めた。
その日の夜。歓迎の宴が終わった後、私は、シトラリ陛下の元へと、願い出ていた。
「陛下。このマルコ・フォン・ブラント、アカツキ総督の任を、辞したく存じます」
「……ほう? なぜじゃ」
「私の魂が、まだ見ぬ東の果てを、求めております。どうか、この願い、お聞き届けください」
私の魂からの願い。だがシトラリ陛下は、少しも表情を変えず、実にそっけない返事をされた。
「ライルのやつに、頼めばよかろう? この都は、奴の国の領土じゃ。妾の知ったことではないわ」
それだけ言うと、陛下はマクシミリアン殿下の手を取り、部屋の奥へと消えていってしまった。
私は、その場でしばらく呆然と立ち尽くした。そして、ふっと笑いがこみ上げてきた。
そうだ、あのシトラリ陛下もライル陛下も、そういう御方だった。
(……わかった。ならば、俺も、俺のやり方で、進むまでだ)
私は、その足で、自分の部屋へと戻ると、一枚の新しい紙を取り寄せた。
そして、ペンを手に取り、遠い母国の我が真の主君へと、一通の手紙を書き始めた。
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