第165話 諸侯、リアン皇帝をいさめる そして家出
【リアン皇帝視点】
『アヴァロン帝国歴170年 8月20日 帝都評議会室』
(ライルさんがハーグに帰ってから、なんだか静かだな……。それに、少しだけ、心細い)
僕が、空になった摂政の席を眺めて、そんなことを考えていた日。案の定、というべきか、面倒な人たちが、ここぞとばかりに僕の元へと集まってきた。
西方のヴェネディクト侯爵に、南方のランベール侯爵。帝国の重鎮と呼ばれる貴族たちが、ずらりと顔を揃え、まるで申し合わせたかのように、僕にプレッシャーをかけてくる。
「陛下! 謹んで、お諌め申し上げます!」
ヴェネディクト侯爵が、芝居がかった口調でそう切り出した。
「帝国の首都を、北の、歴史も浅い一都市へと移すなど、前代未聞! 帝国の威信を、自ら地に貶める愚行にございますぞ!」
「左様!」
ランベール侯爵も、厳しい顔で続く。
「帝都フェルグラントは、王国時代から数えて千年続く、我らが帝国の魂そのもの! この地を捨てるなど、ご先祖様方への、あまりに不敬な行いと言わざるを得ませぬ!」
(うわあ……。みんな、すごく怒ってる……)
次から次へと浴びせられる、正論という名の槍。父上の代から帝国を支えてきた重臣たちに、まだ若い僕が、何か言えるはずもない。
「うーん……」
どうしたらいいのかわからなくて、僕は、つい、素直な気持ちを口にしてしまった。
「じゃあ……じゃあ、どうすればいいのさ……」
その、あまりに無力な僕の言葉が、彼らの欲望の、最後の堰を切ってしまったようだった。
「陛下! ならば、我が西方の領地こそ、新しき都に相応しい!」
「いや、お待ちを! 我が南方の、豊かな穀倉地帯こそが!」
「我が領地には、美しい湖が!」
「いや、うちの山の景色こそが、帝国一!」
さっきまでの、国を憂う忠臣の仮面はどこへやら。みんな、自分の領地のことばかり。その、剥き出しの欲望を前に、僕は、心底呆れ果てていた。
(……みんな、帝国のことなんて、どうでもいいんだ。結局、自分のことしか、考えてないじゃないか。……ライルさん、早く帰ってきてよ……)
【ライル視点】
それから、半月後。
ハーグでの、夢のような休暇を終え、僕が帝都の執務室へと戻ると、そこには、山のようになった陳情書の束を前に、完全にぐったりとしているリアン君の姿があった。
「……ライルさん。もう、僕、嫌だよ……」
リアン君から、事の経緯を聞いた僕は、深いため息をついた。
(やれやれ。僕がいないと、すぐにこれだ。でも、もう、こんな面倒なことに、付き合うのは、うんざりだな……)
僕は、その場で、一つの決意をした。
「わかったよ、リアン君。もう、大丈夫だ」
僕は、すぐに、先帝の時代から宰相を務めていた、オルデンブルク公爵を呼びつけた。公爵は怪訝そうな顔をしていた。
「はて? この老骨に何の用事ですかな?」
そして僕は、集まった諸侯たちの前で、高らかに宣言する。
「このライル・フォン・ハーグは、本日をもって、帝国の摂政の座を、辞するものとする! 後のことは、オルデンブルク公爵と、リアン君自身に、全てを任せる!」
僕の、あまりに突然の辞任宣言に、その場にいた全員が、呆気に取られていた。僕は、そんな彼らを尻目に、心の中で、ガッツポーズを決めていた。
(よっし、これ通ったよね? 通ったよな? ラッキー! 仕事なくなった!)
僕は、晴れやかな気分で、その足で、ハーグ行きの鉄道駅へと向かった。これで、面倒な仕事から解放される。ハーグに帰って、畑仕事をして、子供たちと、思う存分、遊ぶんだ!
一番乗りで、貴族用の客車に乗り込み、席に深く腰掛ける。
「あー、最高だ……」
僕が、窓の外の景色を眺めながら、自由を噛み締めていた、その時だった。
隣の席に、誰かが、ことり、と座った。
見れば、そこには、質素な旅装束に着替えた、リアン君が、にこにことした笑顔で座っている。
「リアン君!? なんでここに!」
「うん。僕も、ハーグに行くことにしたんだ」
「えっ、どうして!?」
「だって、一人じゃ、つまらないじゃないか」
その、あまりに屈託のない笑顔。
家出である。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




