第162話 摂政の誕生
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴170年 4月15日 帝都大聖堂 快晴』
帝都の大聖堂には、荘厳なパイプオルガンの音色が響き渡っていた。
巨大なステンドグラスから差し込む光が、床の大理石に、色とりどりの模様を描き出している。集まった貴族たちは、皆、最高級の礼装に身を包み、固唾をのんで、その瞬間を待っていた。
(うわあ……。なんだか、すごく、居心地が悪いなあ……。早くハーグに帰って、畑仕事がしたいよ……)
僕だけが、その場の空気に、全く馴染めていなかった。
やがて、ピウス七世猊下が、幼いアウレリアン君の小さな頭に、帝国の象徴である、重い黄金の冠を、そっと載せた。
新皇帝、アウレリアン・フォン・アヴァロンの誕生の瞬間だった。
鳴り響くファンファーレの中、幼い皇帝は、宰相に促され、玉座の前へと進み出た。そして、彼の、最初の勅命が、高らかに読み上げられる。
「――ここに宣言する! 帝国の安寧と、朕の未熟を補うため、ヴィンターグリュン侯爵、ライル・フォン・ハーグを、アヴァロン帝国初代『摂政』に任命するものとする!」
その言葉に、聖堂内が、どよめきと、そして、安堵が混じった、温かい拍手に包まれた。
だけど、僕だけは、そんな空気についていけなかった。
(せ、摂政!? 僕が!?)
僕は、慌てて一歩前に出ると、玉座の前に立つ、小さな皇帝に向かって、必死で訴えかけた。
「お待ちください、陛下! そのような大役、僕のような者には、到底務まりません! どうか、お考え直しを!」
僕の、心からの言葉。だが、アウレリアン君は、ふるふると、小さな頭を横に振った。その大きな瞳には、みるみるうちに、大粒の涙が浮かんでくる。
「やだ……やだよう……!」
彼は、皇帝としての威厳も何もかも忘れて、子供のように、わっと泣き出してしまった。
「僕、一人じゃ、なにもわからないよ……! お願いだよ、ライルさん……! 父上の、友達なんでしょ……? 僕を、助けてよ……!」
その、涙ながらの、魂からの懇願。
僕は、その姿に、かつての自分を、重ねて見ていた。
ただの農民だった僕が、突然、領主になれと言われた、あの日のことを。
(……そっか。この子も、僕と同じなんだ。望んでもいないのに、とんでもないものを、背負わされちまったんだな……)
僕の心の中で、何かが、すとん、と音を立てて落ちた。
(……ユリアン皇帝。あんたの息子さん、あんたにちっとも似てないで、僕にそっくりじゃないか。……仕方ない、か)
僕は、ゆっくりと、祭壇の前へと歩み寄った。そして、泣きじゃくる、幼い皇帝の前に、深く、ひざまずく。
「……わかりました、陛下。泣かないでください」
僕は、その小さな手を、両手で、優しく包み込んだ。
「僕でよければ、力が足りないかもしれないけど、精一杯、貴方様をお支えします。それが、貴方様の父上……僕の友人との、最後の約束だから」
僕の言葉に、アウレリアン君は、こくりと小さく頷いた。
その瞬間、大聖堂は、これまでにない、割れんばかりの歓声と、拍手に包まれた。
帝国の新しい時代が、一人の泣き虫な皇帝と、一人の畑仕事が好きな摂政の手によって、今、確かに、その幕を開けたのだった。
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