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第16話 敗国の王女

【ヒルデ視点】


『アヴァロン帝国歴157年 5月21日 夜 晴れ』


 その夜、私はニヴルガルド城の一室で、ただ静かに座っていた。今日から、私は「王女」ではなく、この国の新たな主、ライル王の「奴隷」となる。敗国の王女として、民の罪を一身に背負う。それが、私に残された最後の誇りだった。扉が開かれ、どんな屈辱的な命令が下されようとも、すべて受け入れる覚悟はできていた。


 やがて、扉が静かに開かれ、ライル様が入ってこられた。私はとっさに身を硬くし、床に視線を落とす。だが、彼が発した言葉は、私の予想とはまったく違うものだった。


「ええと……ヒルデさん、だよね? その、無理はしなくていいからね。何か、困っていることはないかな?」


 その声は、あまりに優しかった。王の威厳も、勝者の傲慢さも、そこにはない。ただ、私を気遣う、一人の青年の声だった。その優しさに触れた瞬間、覚悟を決めていたはずの私の心がいとも簡単に揺らいだ。気づけば、ずっと胸の奥に押し殺していた言葉が、涙と共にこぼれ落ちていた。


「……あの……私……」


 私は、恥を忍んですべてを告白した。


「実は私、あの砲撃というのが、あまりに恐ろしくて……その、お恥ずかしながら、気を失い……漏らして、しまいました……」


 言った後で、激しい自己嫌悪に襲われる。なんとみっともないことか。父の娘として、あまりに情けない。きっと、軽蔑されるに違いない。

 だが、ライル様は笑うことも、蔑むこともしなかった。ただ、静かに私の言葉を聞いた後、困ったように笑って、こう言ったのだ。


「そっか……。うん、怖かったよね。僕だって、すごく怖かったよ。手がずっと震えてたんだ」


 その言葉が、私の心を完全に溶かしてしまった。この人は、王なのに、英雄なのに、私と同じように、怖いのだと、そう言ってくれた。


 ライル様の手が、そっと私の頬に触れた。その不器用で、けれど温かい感触に、私は安堵して、吸い寄せられるようにその胸に顔をうずめた。

 その夜、私たちは多くを語らなかった。ただ、互いの温もりを確かめるように、静かに寄り添って夜を明かした。王と奴隷としてではなく、ただ傷ついた魂が、もう一つの魂に慰められるように。


 翌朝、私が目を覚ますと、隣にはライル様の穏やかな寝顔があった。昨夜の優しさを思い出し、私の頬が自然と熱くなる。

 その時だった。


「閣下、朝のご報告に……」


 ヴァレリアと名乗る女性騎士が、勢いよく部屋に入ってきた。そして、ベッドの上の光景を見て、ぴたりと動きを止める。私と彼女の目が、気まずい沈黙の中で交錯した。


 やがて、ヴァレリア様は深いため息を一つつくと、諦めたような、あるいは納得したような顔で、私に尋ねた。


「……ねえ。ライル辺境伯の、どこがいいの?」


 突然の問いに、私は少し考え、そして照れながら答えた。


「うーん……優しい、ところ、でしょうか」


「……それは、そうかもね」


 彼女はそう呟くと、ちょうど目を覚まして状況を理解し、真っ赤になって慌てているライル様を一瞥し、きっぱりと言った。


「とりあえず、三人で朝食にしましょう。お話は、それからです」


 朝食の後、北方の今後についての話し合いがもたれた。


「僕は、この地にずっといるわけにはいかない。だから、ニヴルガルドの統治は、ドラガル公にお願いします。そして、スカルディアはフリズカさん、君に任せます。僕の『北方の王』の名において、民のために、善い政治をしてください」


 ライル様のその決定に、父も、フリズカも、厳粛な面持ちで頷いた。彼は、手に入れた権力に、少しも執着していなかった。


 こうして、北方の新たな統治体制が定まり、ライル様の本拠地であるハーグへと帰還することになった。


 ハーグへと向かう馬車の中、私は遠ざかっていく故郷の城を、静かに見つめていた。


(私は、故郷を捨てた。でも、不思議と悲しくはなかった。あの優しい王のそばに、私の新しい居場所がある。そう、思えたから……)


 私の新たな人生が、今、始まろうとしていた。


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